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▲今も現役 宮浦停車場に憩う18号電車

  18号電車は、汽車会社と芝浦製作所が共同して製造した機関車

凸型の東芝製戦時型機関車の初期車輌としてよく知られている18号電車。
今も、遼機である19号電車とともに、三井化学専用鉄道にて現役の車輌である。この電気機関車の経歴について、その多くは東芝製との記述を見かける。1937(昭和12)年製造であることが記されていれば、これまたかなり細かな記述となるのだが、1937年においては未だ東芝という会社は存在していない。よって、正確には芝浦製作所製ということになる。

さて、杉田 肇著 『私鉄 電気機関車ガイドブック 西日本編』 における記述をしても、製造所として東芝と記されているし、現在現役である18号電車の車体にもTOSHIBAの白文字記載がなされている。三池炭鉱専用鉄道から引き継がれた現三井化学専用鉄道においても、東芝製と名乗っていることになる。三井三池港務所の時代から、この表記がなされていることから、今も昔もこの機関車は東芝製と一般的に思われてきた。

ところが、この機関車は正確には汽車会社と芝浦製作所が共同で製造した電気機関車である。車体機械部分(台車も含む)は汽車会社が製造、電気部分は芝浦製作所が担当して製造されたというのが正確なところである。最終的な完成は芝浦製作所にてなされ、三池への納車も、おそらく芝浦製作所が行ったであろう。このことが、汽車会社の名が忘れ去られる原因となったのではないかと想像される。

実は、この三池の機関車に先立ち、汽車会社と芝浦製作所が共同で製造した電気機関車に八幡製鉄所の60tBB電気機関車 E601がある。先に取り上げた、杉田 肇著 『私鉄 電気機関車ガイドブック 西日本編』 の新日本製鉄八幡製鉄所専用鉄道の記載では、製造所が芝浦、製造年が1929年3月と記載されている。しかし、この記載も不十分であり、正確には三池の18号電車と同じく、2社が共同で製造した機関車である。60t機と45t機の違いはあるが、両機のスタイルは非常に似通っていることは、見比べればすぐにお分かりのことだと思う。さらに、2社共同製造の電気機関車のルーツをたどると、1926(大正15)年、撫順炭鉱に納入された73tBB電気機関車2両に行き着く。つづけて、1928(昭和3)年、同じく撫順炭鉱向けに80tBB電気機関車3両が製造されたが、これらの機関車は、汽車会社における凸型電気機関車のルーツといえる。
その後の歴史をたどると、1939(昭和14)年に芝浦製作所は東京電気と合併し、東京芝浦電気株式会社が誕生し、単体で電気機関車の製造をはじめることとなる。一方、汽車会社は東洋電機と組んで電気機関車を製造しはじめる。


最後に、三池の18号電車が汽車会社製造である証拠をお見せして、今回の覚え書きを終えるとしよう。それは、台車に残る汽車会社の銘板である。今でも18号電車の台車には、“昭和11年 汽車會社 東京支店”の銘板が堂々と残されているのである。


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つづくかな・・・?
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