▲ 三池七浦坑 (SY) NANAURA PIT, COAL MINES
絵葉書を読む
明治末期から大正初期頃の七浦坑。七浦坑には第一竪坑、第二竪坑、第三斜坑の三つの坑口があった。絵葉書中央にあるのが第一竪坑で、木製の櫓であったことが分かる。七浦坑は、明治12(1879)年に開鑿着手され明治15(1882)年完成、明治16(1883)年に操業が開始された。官営時代の主力坑の一つであり、三池炭鉱初の発電所が設置されるとともに、有明町の鉱山事務所から最初の電話が開通したのも七浦坑であった。閉坑は、昭和6(1931)年。
▲七浦坑方面を望む 中央の白い工場の右側付近に七浦坑があった
絵葉書を歩く
旧第一竪坑捲揚機室、旧第二竪坑関連建物が現存している。旧第一竪坑捲揚機室は、切妻平屋のレンガづくり(イギリス積み)である。現在は、ポンプ室として利用されている。官営化後最初に開坑された大浦坑の関連施設は全て失われているため、現在は大浦坑に次いで開坑された七浦坑跡の関連施設が、官営時代の最も古い遺構になる。 これらの遺構は、化学工場敷地内にあり見学できない。また、付近の丘からの俯瞰も木々に遮られて難しい。
歩きメモ
①大牟田市合成町
②西鉄バス 合成町
③工場敷地内にあるため、立入ることはできない。 近くには、かんがい用水路として、三池藩が延宝2(1674)年に大牟田川に架けた早鐘眼鏡橋(国重要文化財)がある。