▲ 三池勝立坑 KATSUTATE OF MIIKE COAL MINE (大牟田驛前山田製)
絵葉書を読む
明治末期から大正初期頃の勝立坑。絵葉書右が第一竪坑(揚炭、吸気、排水用)、左が第二竪坑(排気、排水、人馬昇降用)である。勝立坑は、大浦坑、七浦坑に次ぐ、官営三池炭坑三番目の近代坑口として、明治18(1885)年に開鑿工事が着手された。しかし工事開始以来、湧水に悩まされ、明治22(1889)年に三井の経営に移った後も工事は滞っていた。 この湧水問題を解決したのが、英国製デビーポンプであり、ポンプ導入に奔走したのが、当時三池炭礦社事務長の職にあった団琢磨であった。閉坑は、昭和3(1928)年。
▲2007年12月15日現在の勝立坑 手前の線路敷きは、戦後はグラウンドになっていた
絵葉書を歩く
第一竪坑の関連施設は失われているが、第二竪坑関連施設としてコンクリート造の櫓基礎が残っている。そのコンクリート基礎の壁面にはアーチ状のレンガがあるが、竪坑への入口跡である思われる。また、坑口の西側にレンガ積みの擁壁が残るが、詳細は不明 である。この第二竪坑跡は住宅地の脇にあり、外観の見学は自由に行うことができる。また、現在勝立地区公民館となっている付近に、第一竪坑があった。2014年現在、上の写真の空き地は住宅地となっており、旧勝立坑の全体を見渡すことはできなくなっている。
歩きメモ
①大牟田市勝立町
②西鉄バス 勝立 徒歩5分
③外観の見学は自由。 近くの高台には、囚人労働者の菩提を弔うために建てられた供養塔である「解脱塔」(勝立工業団地緑地公園内)や、山の神神社跡がある。