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   ▲(大牟田名所) 宮ノ浦炭坑  FAMOUS MIIKE
 

 
 絵葉書を読む
 
  大正期頃の宮浦坑。絵葉書右に汽罐場の赤レンガ煙突、その左側奥には木造
の第一竪坑櫓が見える。七浦坑の空気流通と採炭予備のため、明治21(1888)年に操業開始された。当初は、排気、排水共に七浦坑で行い、揚炭と人員の昇降に限定した炭坑であった。 その後、炭層に向けた大斜坑が大正12年(1923)年に開坑され、エンドレスロープによる揚炭が行われ、万田坑、四ツ山坑に並ぶ主力坑として再生した。絵葉書中央には、大正8(1919)年に開坑した第二竪坑(排気)櫓がある。閉坑は、昭和26(1951)年。
 


 
 
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▲2014年1月1日現在の宮浦坑   第二竪坑の場所は、大宝工業(株)大牟田工場となっている

 
 絵葉書を歩く
 
 かつての宮浦坑一帯は、そのほとんどが工場敷地となっている。宮浦石炭記念公園には、明治21(1888)年に建造された赤レンガ煙突と、大正12(1923)年に開坑した大斜坑の坑口跡・プラットホームが残されている。赤レンガ煙突は、竪坑捲揚機の動力源であったボイラーの排煙に使われていたもので、高さ31.2m、直径2.9~4.3m。耐火赤レンガ約138,000枚が使用されている。(国登録文化財) また、公園内には実際に使われていた人車や、坑内で使用された機械類も展示されている。
 

 
 
 
 
 歩きメモ
 
①大牟田市西宮浦町132-8
②西鉄バス 上町 徒歩10分
③かつての宮浦坑の一画は、宮浦石炭記念公園として整備されており、自由に見学することができる。 公園内に残る赤レンガ煙突は、三池炭鉱のレンガ煙突遺構としては唯一残されたものである。なお、「炭鉱節」に歌われた煙突のモデルは、筑豊の田川に今も残る旧三井田川鉱業所の2本煙突である。