▲三井三池宮の原炭鉱 Miyanohara Coal mine Miike. (Ys)
絵葉書を読む
明治末期から大正初期頃の宮原坑。絵葉書右が第一竪坑(揚炭、吸気、排水用)、左が第二竪坑(主に人員昇降用)である。宮原坑は、万田坑、勝立坑、宮浦坑とともに明治後期から大正期の主力坑の一つであったが、開鑿の大きな目的は坑内の排水を担うことであった。そのため、二つの竪坑にはデビーポンプがそれぞれ2台ずつ設置され、これによって七浦坑の排水難も解消された。また、宮原坑では厳しい労働条件の下、囚人が使役されたことから“修羅坑”とよばれていた。
閉坑は、昭和6(1931)年。
▲2012年4月14日現在の宮原坑 史跡に指定されている範囲の草刈りが行われた状態です
絵葉書を歩く
第二竪坑関連施設(竪坑櫓、捲揚機室、デビーポンプ室一部外壁)が現存している。鋼鉄製櫓の高さは約22mで、三池炭鉱初の鉄骨造の櫓であった。捲揚機室はイギリス積のレンガで、切妻平屋造。屋根は波形スレートで葺かれているが、かつては、妻壁の形に合った勾配で屋根が架けられていた。内部には電動の捲揚機が2台設置されている。また、デビーポンプ室外壁の一部が、竪坑櫓の基礎に接して残されている。閉坑後も、閉山時まで排水用・管理用に利用されていた。
(国指定史跡・国重要文化財)
歩きメモ
①大牟田市宮原町1-86-3
②西鉄バス「早鐘眼鏡橋」から南へ 徒歩10分
③外観の見学は自由。現在は毎週日曜日 午前10時~午後5時 (年末年始12/29~1/3は除く)に一般公開(無料)がなされている。 また、南側には戦後に建てられた、鉄筋コンクリート造りの職員社宅(通称シラコ社宅)が一棟残されている。