“かすてら饅頭”
◆◇菊水堂◆◇
住所 : 大牟田市大正町1丁目3番地2
電話 : 0944-56-1234 ◆訪問日:2012.11. 3
“かすてら饅頭”の菊水堂その3の話題は、“かすてら饅頭”を巡る歌人・詩人たちの物語です
まずは、トップの『季節の贐(はなむけ)』をご覧いただきましょう。
この『季節の贐』という小唄は、北原白秋の作でございます。
菊水堂5代目店主森史朗さんによると・・・
東京に住んでいた親戚(大伯父さん)が白秋と懇意にしていて、酒の席で作ってもらったとか。
郷土の歌人、白仁秋津(しらにあきつ)が白秋に会いに行くときに“かすてら饅頭”を土産に持ち、それを食べて即興で作ったと言われています。よって節回しはなく、三味線を片手に鼻歌で~くらいのようです。白秋直筆の書は残っておらず(多分、空襲で焼失)、我が家にはパンフがあるだけです。
*以上の内容は、「地域SNSわいわいちっご」より引用させていただきました
“かすてら饅頭”について、白秋作の小唄があることは以前から知っていましたが、三池カルタ・歴史資料館にて今年の春に開催された特別展 『与謝野晶子没後70年 与謝野晶子と白仁秋津』 にて、私なりに発見がありました。白仁秋津宛の与謝野晶子書簡中に、菊水堂の“かすてら饅頭”が話題になっていた~(*^_^*)
早速、白仁秋津宛の与謝野晶子書簡の一部をここに紹介するといたしましょう。
白仁様
御文いたゞき候ひしよりも少しはやく 御志のおくわしとゞき申候。
いつぞや御もたせ下されし時に堀口大學氏が居られ経て 白秋さんのカステラ饅頭のうたをいろいろおどけて読まれしことのしのばれ候て 涙ながらにつくしの味をあぢはひ申候。
沢山に頂戴いたし まことにありがたく存じ申候。
あちこちにわけて上げ申候。 (後略)
三池カルタ・歴史資料館の解説によると・・・
この書簡は、寛(鉄幹)の死去に際して秋津から贈られた志のお菓子へのお礼と、晶子の二男秀( しげる)の結婚について述べられたもので、以前このお菓子を贈られた時に、堀口大學が白秋作のカステラ饅頭のうたをおどけて歌ったことが思い出されて、涙ながらにお菓子をいただきましたという内容。
日付は、昭和10年11月21日 となっています。
九州は大牟田の銘菓“かすてら饅頭”と、中央の歌人・詩人達の知られざる秘話を垣間見たようで、“かすてら饅頭”の味わいもひときわ昭和初期のレトロな味に感じ入った次第です。
▲白仁秋津を通じ、戦前を代表する歌人や詩人達に愛された“かすてら饅頭”
ところで、大牟田市では、あるお祝いの際に“かすてら饅頭”がふるまわれていることを皆さんご存じでしょうか?
そのあるお祝いとは~、小学校の卒業式です。
大牟田市内の全小学校では、毎年の卒業祝いに大牟田市 から“かすてら饅頭”が贈られます。
もちろん大変な数になるので、菊水堂はもちろんのこと市内 の菓子店で分担してつくり納品しているとのこと。
郷土の歴史ある銘菓を小学校の卒業式で味わう
何とも、心温まり誇らしげな話ではないですか!(^^)!
大牟田生まれの銘菓“かすてら饅頭”ここにあり
これまでも、そしてこれからも、多くの人々に愛され 続ける
“かすてら饅頭”であることでしょう(*^_^*)
■左の写真は、菊水堂Facebookより 保育園の卒園饅頭
◆インタビューや資料の提供をいただいた菊水堂5代目店主 森史朗さんには、この場を借りてお礼申しあげます。ありがとうございました。
▲菊水堂の店内
本文中に登場する歌人・詩人の簡単な解説
白仁秋津(1876~1948) 歌人。三池郡銀水村岩本(現大牟田市岩本)生まれ。本名、勝衛。文芸雑誌「明星」を主宰した与謝野鉄幹に師事。生涯を大牟田で過ごし、郷土の自然や日露戦争に従軍した経験などを歌に詠んだ。また、北原白秋とも親交があり、1907年に鉄幹や白秋ら5人の文人が紀行文「五足の靴」を発表した際には、その九州西部の旅を資金面で支援したことで知られる。
北原白秋(1885~1942) 詩人・歌人。福岡県柳川生まれ。本名、隆吉。与謝野鉄幹の門人となり、「明星」「スバル」に作品を発表。のち、木下杢太郎らと耽美派文学の拠点となる「パンの会」を結成。詩集「邪宗門」「思ひ出」、歌集「桐の花」、童謡集「トンボの眼玉」など。
堀口大學(1892~1981) 詩人・フランス文学者。東京生まれ。中学校卒業と同時に新潟県から上京。与謝野寛・晶子の新詩社に入って短歌・詩を作る。大正期の象徴詩に知性と官能美を加え、フランス近代詩の翻訳も多い。詩集「月光とピエロ」「砂の枕」「人間の歌」、訳詩集「月下の一群」など。
与謝野鉄幹(1873~1935) 詩人・歌人。京都生まれ。本名、寛(ひろし)。落合直文の門に入り、浅香社に参加、短歌革新運動を興した。のち新詩社を創立し、「明星」を創刊、主宰。妻晶子とともに明治浪漫主義に新時代を開き、新人を多く育成した。歌論「亡国の音(おん)」、詩歌集「東西南北」「紫」、訳詩集「リラの花」など
与謝野晶子(1878~1942) 歌人。堺生まれ。旧姓、鳳(ほう)。本名、しょう。鉄幹の妻。新詩社を代表する歌人として雑誌「明星」で活躍、明治浪漫主義に新時代を開いた。歌集「みだれ髪」「小扇」「舞姫」「恋衣」(共著)、現代語訳「新訳源氏物語」など。
与謝野秀(1904-1971) 外交官。東京生まれ。与謝野鉄幹・与謝野晶子の次男。外務省にはいり、昭和24年調査局長、27年ベルギー公使、29年エジプト大使、40年イタリア大使などを歴任。退官後は原子力委員会委員。東京帝大卒。長男は、馨(かおる)、政治家。
*以上、『デジタル大辞泉』などより引用
(おわり)