▲夕陽に映える白亜の殿堂 三井化学J工場
このJ工場は、ドイツの染料工場を参考にして建設されたもので、1938年竣工。鉄筋コンクリート造りの7階 建てでございます。当時は東洋一の高さを誇ったらしく、大牟田の街のシンボルにもなっていました。
2012年は、三井化学大牟田工場 操業100周年
今年2012年は、三井化学大牟田工場操業100周年に当たる年です。
100年前の1912(明治45)年、コークス製造における副産物を回収して化学肥料などを生産したことにその端を発します。
もう少し詳しく解説すると、現在の三井化学大牟田工場に国内初の副産物回収型コークス炉(コッパース式コークス炉)*注1が建設され、コールタール、ガス、硫安、ピッチ工場などが操業を開始したのでした。
実は、昨年の10月30日に開催されたオオタムフェスタにて、操業100周年の記念事業の開催予定が報告されていました。たぶん近々三井化学大牟田工場から正式な記念事業の発表が行われると思いますが、ここでは昨年のオオタムフェスタの様子を織り交ぜながら、記念事業の一端をお知らせしたいと思います。
*注1 コッパース式コークス炉の写真はこちら↓↓↓
まずは、J工場隣のフェスタ入り口の様子から~
この日はあいにくの雨模様でしたが、工場見学のバスツアーなどもあって大勢の方々が訪れていました。
管理人はいの一番に工場見学バスツアーに参加(*^_^*)
初めて見る工場内の情景にくぎ付け~、バスの左右の光景をチェックするのに大忙しでございました。もちろん、工場内の線路もしっかり見てきましたよ。写真撮影が禁止されているのでご覧にいれられないのが残念ですが、今年もフェスタがありますので、見たい方はぜひ三井化学大牟田工場まで足をお運び下さいませ。*注2
*注2 昨年のオオタムフェスタを伝える地域広報紙「とうかやま」はこちらから↓↓↓
お次はメイン会場に行ってみましょう。
メイン会場には、【来年】「おかげさまで 工場操業100周年」の横断幕の下、大牟田工場の興味ある歴史的な写真が掲示されていました。
100周年に向けて、社内でも歴史的な資料や写真の収集が行われている模様で、これまた貴重な写真の数々が小型液晶パネルに写し出されたり、最近発見されたという戦前の工場を記録した映像の上映などもありました。
上の写真にある趣意書を、少し長いですがここに紹介しておきましょう。
大牟田工場操業100周年記念事業 趣意書
三井化学株式会社大牟田工場は操業の起点を1912年としており、来る2012年に操業100周年を迎えることになりました。
つきましては、この節目にあたり下記の歴史認識とコンセプトの下、2012年4月より操業100周年記念事業(DVD・パンフ・展示室等の製作・公開、講演・式典等の各種行事の開催、インフラ整備等)を実施いたします。
記
1) 石炭化学事業の発祥
約110年前の1900年頃、ヨーロッパの先進国では製鉄や金属「製錬等で需要の高い石炭からつくる「コークス」の製造を本格化しており、またその製造過程で回収した副産物を利用して「合成染料」などの化学製品を製造する石炭化学工業が発展しておりました。
1912年、三池炭鉱で事業展開する三井鉱山は、化学事業の端緒として、副産物回収型コークス炉(コッパース式コークス炉)から発生するガスに含まれるアンモニアを回収して硫安(化学肥料)の生産を開始するとともに、ガス・タール等の副産物工場の稼働をこの地(現在の当社大牟田工場)にて開始いたしました。
爾来、当工場の礎となった三井鉱山(株)三池染料工業所(のちの三井化学工業(株)三池染料工業所)、東洋高圧工業(株)、三池合成工業(株)は、この石炭化学事業を承継し、発展してまいりました。
2)発展と苦境克服の歴史
1930年代後半には三池の石炭を基に合成染料、合成アンモニア・硫安をはじめとする各種化学製品を総合的に生産する一大石炭化学コンビナートが形成され、大きく発展を遂げました。その後日本は太平洋戦争に突入し、軍事色を強めていった大牟田工場にも戦火が広がり甚大な被害を受けましたが、戦後、肥料事業を主体に復旧を果たし、石炭化学を基軸に戦後復興を支えました。
1960年代、戦前からの長い歴史を持つ合成染料をはじめ農薬や各種工業薬品の製造技術及び高圧ガス等を取り扱う高い技術力の蓄積をもとに、当工場の主力製品として現在まで50年間に亘り生産し続けているポリウレタン原料「イソシアネート」の製造を開始し、新規分野に進出しました。
また戦後、各種分野において協調、提携しつつ独自の発展を遂げてきた三井化学工業(株)(三池合成工業(株)を1962年に吸収)と東洋高圧工業(株)は、化学工業の構造変化(石油化学工業の急激な伸長)と本格的な国際化に対処するため1968年10月に合併し、三井東圧化学(株)が発足しました。
1970年代に入ると、化学工業をめぐる内外環境の激変(円の切り上げ、オイルショック等)により当社の事業基盤は根底から揺るがされる事態になり、最大社員数を有する大牟田工場も毎年巨額の赤字を計上しました。この様な構造的な体質から抜本的な脱却を目指し、人員削減等も含めた事業の再建策に取り組み、80年代にはこれまで蓄積してきた全ての技術を複合化し、駆使して100年にならんとする長きを、事業・製品構成を替え、自己変革品柄各時代の荒波に揉まれつつも強かに生き抜いてまいりました。
3)これからの大牟田工場
2010年秋、当工場は全体で策定した11中期経営計画(2011~2013年の3カ年)を受け、近未来のあるべき姿(2015年近傍)を描きました。
即ち、「イソシアネート類を中核とする精密有機合成化学の拠点」工場となり、「MR(メガネレンズ材料)/農薬/ウレタンを3本柱とする主力工場」、「機能化学・ウレタン分野におけるファインケミカル技術のマザー工場」を目指します。
当工場は主力ウレタン事業の激動の下、今また新たに大きな変革期を迎えておりますが、工場全社員が総力を結集して不退転の決意で工場将来像の実現に向けてあらゆる施策に取り組み、ピンチをチャンスに変えて次世代へ生き抜こうとしております。そして来る2012年次の100年への起点としたいと思います。
4)おわりに
最後に、当工場が100周年を迎えられることについては、大牟田の地域の皆様を始めとするステークホルダーの皆様からの長きに亘るご理解ご支援が無ければ、到底かなうものではありませんでした。
皆様への深い感謝の気持ちを込め、操業100周年記念事業のキャッチコピーを次のとおり定めました。お世話になった全ての皆様とともに、工場操業100周年を迎えたいと存じます。
おかげさまで100周年
「大牟田から世界へ 大牟田から未来へ」
2011年9月
三井化学株式会社大牟田工場
工場長 植竹 隆夫
さてさて、会場にはこの様な古びた模型も展示されていました。
これは、宮浦駅のすぐ東側の小高い丘にあったコークス工場の模型です。
私が三池の鉄道を撮り始めた高校生の頃にはまだ操業していたと思います。
コークスを運び出す機関車のようなものが動いていたの覚えています。今回、この模型に機関車らしきものを見つけて感激した次第でございます(^O^)
▲コッパース式コークス炉模型 昭和32年(日本工芸社)作成
これは第2コークス炉と呼ばれていたもので、ちょうど宮浦坑とは反対側の丘にあった。このコークス炉 からは、宮浦ヤードを越えてホッパーまでベルトコンベアが設置されていた。
この機関車らしきもの~どこかに実物の写真が残っていないだろうか・・・。
もう一つ模型を紹介しましょう。
▲分解炉(カウパー)模型 昭和32年(日本工芸社)作成
これはタンクがあるので、ガス関係の施設なのでしょうか?
以上、昨年秋に行われた三井化学大牟田工場オオタムフェスタより、操業100周年の記念事業予定について述べてきました。
また、事業の詳細が分かりましたら皆さんにお知らせしたいと思います。
最後におまけの写真をもう一枚(^_-)
記念のシールが貼られたせんべい・・・鞄に入れていたら割れちゃった(*_*)
もちろんこれは三井化学製造ではありませんよ(?_?)
(おわり)