三池炭鉱 「月の記憶」 ~そして与論を出た人びと~
井上佳子著 石風社 2011.7.20 発行
久々に本を手に取った。
題名はご覧の通り・・・
与論島から大牟田に移住してきた人々を中心に描いたドキュメンタリー。
作者の井上さんは、熊本放送のテレビ制作部ディレクター。
ここまで解説したら、あ~ あのテレビ番組の・・・
と思い出される方もあるでしょう。
2009年2月11日に全国放送された、『月が出たでた ― お月さんたちの炭坑節』 の取材ノートといえるものです。(不覚にして、管理人はこの番組を見逃してしまった~どなたかVTR下さいm(_ _)mませ)
詳しい内容は本書を読んでいただくとして “月” に関して、昔読みかじったある書物を思い出した。
それは、ロシアの民俗学者 ニコライ・A・ネフスキイ著 『月と不死』。
岡正雄編の平凡社東洋文庫にて目にしたこの本は、次のような文章で始まる。
少し長いですが、ここに引用してみましょう。
ずっと以前のこと、かのシベリアの大鉄道を旅行して、私が丁度バイカルを過ぎたのは、麗しい六月のことであった。天地に迫る涼味、寧ろ寒気が感ぜられる程で、威大な夜の光は、隈なく湖と程近く聳える山々を輝し、水面には己が姿を映していた。
私は汽車のプラットホームに出て見た時、其処には一人の日本人が佇んで、蠱惑的なシーンに見とれていた。暫しの間息もつかず、沈黙が僅かに規則的車輌の響に妨げられて続いてゆく。やがて彼の方から振り向いて来た。
「この様な月を眺めていると」と語り初めた。「夥しく湧き出て来る感情で、たましいは独り、満たされるものです。貴方も感ぜないわけにはゆきますまい。私達日本人は非常に月を愛します。今日の様な景色に接すると、詩が自然に口に浮びます。こうして、此処に私は既に半時間程佇んでいますが、どうしても離れて行くことが出来ないのです。こうしている間に、二三の詩を作りました。お聞かせ申しましょうか。」と云って二三の日本の短歌を続けて吟じ、露語に表わそうと努めて不充分の所、辛うじてほのめかし得た所を説明したのであった。
まさしく「読みかじった・・・」た書物でしたが、冒頭のこの文章が強く印象に残っています。
煌々と光り輝く月を愛でては、この冒頭の部分を思い出すのでした。
ところで、三池炭鉱「月の記憶」にある、描写された与論島のある光景に驚き、感銘を受けました。それは、“洗骨” の光景。
与論島では、土葬が今も行われていて、「亡くなってから5~7年経つと、亡骸は家族の手によって掘り起こされ、骨の一本一本がていねいに洗い清められる。そして、甕に納めて再び埋葬される」。 (「 」内は、三池炭鉱 「月の記憶」 より引用)
ただし、与論でも近年急速に火葬に移行しているようで、今では “洗骨” の光景もあまり見られなくなったとのこと。
ニコライ・A・ネフスキイは、宮古島の “変若水” (おちみず、をちみづ ⇒ 飲めば若返るといわれた水)伝承を今に伝えていますが、そこからは古来からの “月” と生命の結びつきの強さを感じることができます。
ひるがえって、井上さん・・・
「月とは何か。この足かけ5年の取材で私がたどり着いた答えは、命、だった。月とは命。月とは私たちそのもの。私自身であり、あなたである。」
(「 」内は、三池炭鉱 「月の記憶」 あとがきより引用。この意味を知るには、本書をお読み下さい)
「与論よりも与論らしいのが大牟田」「大牟田イコール与論」「大牟田は与論の経済的支えだった」・・・
炭坑節にうたわれた、高い煙突に煙、そしてけむる月に思いを馳せた、三池炭鉱「月の記憶」の物語は、現代に生きる私たちに語りかける多くのもを含んでいます。
最後に、「新港町・与論の民の運動会」(昭和30年代はじめ頃)を紹介して、今宵はおひらきといたします。
(三池炭鉱 「月の記憶」 より)
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