▲夕闇が迫りくる 万田坑
息を凝らしてじ~っと見たドラマ
中でもハーモニカの音が耳から離れません・・・
中でもハーモニカの音が耳から離れません・・・
前回も取り上げた“炭掘る仲間”のそれです。
福岡県大牟田市の大牟田労災病院の一室。元三池炭鉱労働者の清水正重さん(80)は、じっとベッドに腰掛けていた。右手には愛用のハーモニカが握られている。
(中略)
事故から今年十一月で四十二年。時は確実に刻まれている。
ハーモニカを口に運び、正重さんが組合歌を奏で始めた。
「みんな仲間だ 炭掘る仲間…」
◇西日本新聞 「闘争の果て 解散・三池労組の59年」より引用 2004.4.8 朝刊連載記事
(中略)
事故から今年十一月で四十二年。時は確実に刻まれている。
ハーモニカを口に運び、正重さんが組合歌を奏で始めた。
「みんな仲間だ 炭掘る仲間…」
◇西日本新聞 「闘争の果て 解散・三池労組の59年」より引用 2004.4.8 朝刊連載記事
CO(一酸化炭素)中毒患者として生きてこられた清水さんと、ドラマのシーンが重なり合う。
そばに寄りそう奥さんの姿が新聞記事に写し出されているが、いしだあゆみさん演じるそれと重なり合う。
ドラマは、原作をもとに作られてはいるが、三池港のラストシーンのように新たに埋め込まれたフィクションも存在します。しかし、ハーモニカのシーンといい、阿蘇や杖立温泉の場所といい、大牟田に生きた人々の歴史や生き様をもまた確実に写しだしていたように思います。
そばに寄りそう奥さんの姿が新聞記事に写し出されているが、いしだあゆみさん演じるそれと重なり合う。
ドラマは、原作をもとに作られてはいるが、三池港のラストシーンのように新たに埋め込まれたフィクションも存在します。しかし、ハーモニカのシーンといい、阿蘇や杖立温泉の場所といい、大牟田に生きた人々の歴史や生き様をもまた確実に写しだしていたように思います。
そこがまた、じ~っと息を凝らさずしては見れなかった理由の一つでありました。
ところで、ハーモニカ~
ドラマ中に流れたハーモニカ、“炭掘る仲間”を演奏していらしたのは西川義夫さんであるようです。
*西川さんより、直接コメントをいただきました。正確な内容ははコメント欄をご覧下さいm(_ _)m
ドラマ中に流れたハーモニカ、“炭掘る仲間”を演奏していらしたのは西川義夫さんであるようです。
*西川さんより、直接コメントをいただきました。正確な内容ははコメント欄をご覧下さいm(_ _)m
小学生のときに覚えたハーモニカを、難病治療のために入院した中国の山奥の村人たちとの素朴で温かい出会いを機に、6年前から本格的に演奏活動を開始しました。 毎月第3日曜日に福岡市中央区の天神中央公園(南西角)でストリートライブ(14時~)を行う他、福岡市西区で介護事業『あした葉』を運営するかたわら、福祉施設等での演奏活動や指導を行っています。 ◇西川義夫さんのHP harmonica のプロフィールより引用
西川さんのブログには、詳しくこのドラマへの関わりや思いが述べれていますので、是非ご覧下さい。
詳しいいきさつは分かりませんが、西川さんはブログの中で・・・
「20代の頃、“三池に魅かれて”誰一人知人もいない九州にやってきた私にとって、ハーモニカが劇中で大切な役目を担っていると思える記念のドラマで、三池に再び関わることになったことに、深い深い感慨があります」と述べておられます。
詳しいいきさつは分かりませんが、西川さんはブログの中で・・・
「20代の頃、“三池に魅かれて”誰一人知人もいない九州にやってきた私にとって、ハーモニカが劇中で大切な役目を担っていると思える記念のドラマで、三池に再び関わることになったことに、深い深い感慨があります」と述べておられます。
管理人の私も、父が使っていたハーモニカを今も手元に置いています。最近こそ、全く吹くこともなくその存在を忘れかけていましたが、ドラマを見て久しぶりに手に取ろうとした のですが~
どこを探してもありません・・・。つい5,6年前に一度吹いた記憶があるんですが・・・
どこを探してもありません・・・。つい5,6年前に一度吹いた記憶があるんですが・・・
小学校の時によく吹いたのは、たしか『川は流れる』っていう曲だったように思います。
楽譜は読めないので、適当に探り吹きとでも申しましょうか、それでも好きでよく吹いてました。
楽譜は読めないので、適当に探り吹きとでも申しましょうか、それでも好きでよく吹いてました。
見るものそれぞれが持つ心像風景や、大牟田が辿ってきた歴史を脳裏によみがえらせてくれた NHKドラマ『見知らぬわが町』・・・
年代によってドラマへの感想は違っていると思いますが、いずれにしても視聴者の脳裏に映し出された光景があるとすれば、それはこのドラマの持つ力に他ならないことでしょう。
また、その光景は一人一人違った光景でもあり、それぞれが感じた事もまた様々かもしれません。
年代によってドラマへの感想は違っていると思いますが、いずれにしても視聴者の脳裏に映し出された光景があるとすれば、それはこのドラマの持つ力に他ならないことでしょう。
また、その光景は一人一人違った光景でもあり、それぞれが感じた事もまた様々かもしれません。
ただ確かにいえることは、その脳裏に浮かんだ光景が人々に感動を与える源となったであろうということです。
(つづく)