▲海上より見たる三池港閘門
全体を通じて、息を凝らしてじ~っと見ました・・・
というか、じ~っと息を凝らさずしては見れませんでした。
というか、じ~っと息を凝らさずしては見れませんでした。
当ブログのプロフィール画像を皆さん気にかけられることがあるでしょうか?
炭坑夫のレリーフ、ヘッドランプ付きのヘルメットをかぶった炭坑夫の横顔のそれです。
炭坑夫のレリーフ、ヘッドランプ付きのヘルメットをかぶった炭坑夫の横顔のそれです。
ヘルメットの三本の線は、三池労組のしるし。
このレリーフ、実は三池炭鉱労働組合 結成30周年記念 の盾にあるレリーフなのです。
1946年結成から30年、1976年に作成された記念の盾・・・
このレリーフ、実は三池炭鉱労働組合 結成30周年記念 の盾にあるレリーフなのです。
1946年結成から30年、1976年に作成された記念の盾・・・
レリーフの下には “団結・抵抗・統一” の文字が刻まれています。
ドラマ中の記者が語っていたように、今年は三池闘争50周年の年。
『見知らぬわが町』の中で奏でられたハモニカ、そして主人公の祖父の葬儀場面で歌われたあの歌・・・
“炭掘る仲間”を聞きながら、このレリーフを思い起こしていました。
『見知らぬわが町』の中で奏でられたハモニカ、そして主人公の祖父の葬儀場面で歌われたあの歌・・・
“炭掘る仲間”を聞きながら、このレリーフを思い起こしていました。
「三池炭鉱労働組合は、組合員に新組合歌の歌詞を募り、48作品が集まったがどれも物足りず、グループで創作すること」になって誕生したのが、ドラマで印象的に奏でられたあのメロディーだったのです。
全篇を通じて、じ~っと息を凝らして見らざるおえなかった理由・・・
それは、炭塵爆発の後遺症に苦しむ家族の姿と、主人公の精神的な苦悩が重なっていたからに他なりません。そのことは、とりもなおさず、わが大牟田が歴史的に抱えてきた「負の遺産」の苦悩でもあり、いまだその傷がいけない個々人の歴史でもあるのです。
それは、炭塵爆発の後遺症に苦しむ家族の姿と、主人公の精神的な苦悩が重なっていたからに他なりません。そのことは、とりもなおさず、わが大牟田が歴史的に抱えてきた「負の遺産」の苦悩でもあり、いまだその傷がいけない個々人の歴史でもあるのです。
このドラマ、私たちの世代(50代前半)やより若い世代にとっては、一度見てもその奥深さが分からないかもしれないと感じました。全篇を通じて、底流のように流れるそこはかとない情念のようなものを感じます。
ただ、最後に三池港の場面を持ってきた清水監督の思い、私なりに受け取りました。
最初の場面にて、万田坑のトンネルの闇から脱出した主人公・・・
このシーンがこのドラマの導入であり、またすべてでもありました。
このシーンがこのドラマの導入であり、またすべてでもありました。
個人的に楽しみにしていた三池港
石炭に泣き石炭に救われたわが町
三池港突堤に囲まれた航路をゆくタグボートと航路の風景
石炭に泣き石炭に救われたわが町
三池港突堤に囲まれた航路をゆくタグボートと航路の風景
三池港のシーンに、わが町大牟田の未来を見た思いがいたしました。
(つづく)