▲1965(昭和40)年頃
*写真をクリックすると、より鮮明な画像にてご覧になれます
提供者:“くろしお”さん(写真・解説文ともに)【炭住(自宅)の前でのひとコマ ~山吹町~】
昭和40年、自宅(炭住)の前でのひとコマ
中央の少年は私です
他の手持ち写真では5人ほど男の子ばかりで写っています。
近所でもけっこう年齢の幅のある子供たちが
いつも一緒に遊んでいました。
この写真のお姉さん達は確か中学生だったと思うので
一緒に遊ぶのは珍しかったような気がします。
背景の煙突はご紹介した事がある共同浴場
その背後の丘の炭住は敷島町、その向こうにグリーンランドが広がっています。
正面の三角の屋根は商店長屋で、見えているのは酒屋さんですね
清酒2合とか量り売りで買ってました。
見えませんが八百屋、貸本屋、タバコ・駄菓子屋と続いています。
炭住と言えば社員だけかと思われますが
一部住宅は警察官官舎のような使われ方をしていました。
駐在所とまでは行きませんが、多少はそのような役割をしていたのかも。
昭和40年、自宅(炭住)の前でのひとコマ
中央の少年は私です
他の手持ち写真では5人ほど男の子ばかりで写っています。
近所でもけっこう年齢の幅のある子供たちが
いつも一緒に遊んでいました。
この写真のお姉さん達は確か中学生だったと思うので
一緒に遊ぶのは珍しかったような気がします。
背景の煙突はご紹介した事がある共同浴場
その背後の丘の炭住は敷島町、その向こうにグリーンランドが広がっています。
正面の三角の屋根は商店長屋で、見えているのは酒屋さんですね
清酒2合とか量り売りで買ってました。
見えませんが八百屋、貸本屋、タバコ・駄菓子屋と続いています。
炭住と言えば社員だけかと思われますが
一部住宅は警察官官舎のような使われ方をしていました。
駐在所とまでは行きませんが、多少はそのような役割をしていたのかも。
◆昔は、けっこう異年齢の子ども達で遊んでました。
近くのお宮さんの境内などでよく遊んだものです。
小学校の通学には、いつもお隣のお姉さんにくっついて行ってました。
近くのお宮さんの境内などでよく遊んだものです。
小学校の通学には、いつもお隣のお姉さんにくっついて行ってました。
量り売り・・・懐かしい言葉ですね。
わが家も、醤油は「染料の売店」に買いに行ってました。
酒屋は、日本酒を一杯ひっかける「角打ち」でしょうか・・・。
わが家も、醤油は「染料の売店」に買いに行ってました。
酒屋は、日本酒を一杯ひっかける「角打ち」でしょうか・・・。
(管理人 記す)