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撮影日:明治末期頃 
撮影地:三池港 

  ◆絵葉書『三池港貯炭トンネル TUNNEL AT MITSUI'S HABOR (大牟田驛前山田製)』より一部

15tB 覚え書き その2 “積込電車たる由縁”

今回は、15tB“がめ電車”の、積込電車たる由縁をテーマに、覚え書きを記すとしよう。

そもそも、三池港船渠(ドッグ)の背後に設置されていた貯炭場から、船渠繋船壁(岸壁)の船積機まで石炭を運搬することが、15tBに課せられた役目である。
船渠の背後にあった貯炭場には、5条の高架桟橋と貯炭トンネルがセットをなして建設されていた。

今回のTOPの写真は、この貯炭場を北側から見下ろしたものである。
(絵葉書の一部を拡大・複写したもの)
坑口での選炭を終えた石炭は、炭種ごとにこの貯炭場に送り込まれ、注文に応じて繋船壁の船舶まで運搬を行い積み込む。
5条の高架桟橋下に貯炭された石炭は、トンネル両肩に設置されていた漏斗(シュート)を通じて、トンネル内部にて炭車に積み込まれたのである。

さて、TOPの写真をよく見ると・・・トンネルの出口付近の傍らに、トンネル内部から伸びた細長い構造物があるのが認められる。
これは、トンネル内に設置されていた第三軌条の先端部であると思われる。
『三池鉱業所沿革史』(未刊行)の総年譜中、電気課の年譜を参照してみると、以下のような記述が見られる。

明治42年4月 三池港石炭積込作業のため四山に電車用変電所を設け6屯電気機関車6台を使用
単線架空式墜道内は第三軌條式 (備考:坑外電気機関車使用)

記述内容からして、6屯とあるのは15屯の誤りではないかと思われるが、今後の検証が必要であるかも知れない。
トンネル内での石炭積み込み作業に、作業員が架線に接触することなどの危険性があるため、このような第三軌条方式が採用されたものと考えられる。
しかし、この第三軌条は貯炭トンネル使用開始後、約1年の短さで廃止されている。
理由を『三池港務所沿革史』(未刊行)によってたどってみると・・・
危険防止にはさほどの効果がなかったことと、その取扱が不便であったことがあげられている。

いずれにせよ、15tBが明治42年に導入時された時点では、トローリー式以外に第三軌条式の集電装置を合わせ持っていたことは確かな事実のようである。
15tBの残された写真などからは、残念ながらこの第三軌条式の集電装置を確認することは困難である・・・


(つづく)