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撮影日:明治末期頃    ◆写真提供 : 大牟田市石炭産業科学館
撮影地:三池港     


15tB 覚え書き その1 “運転室は縦長だった”

三池鉄道の中で、最も古い電気機関車はこの15tB型の電気機関車である。(注1)
前回の「概要編」で述べたように、最初の15tBは、1908(明治41)年、アメリカ GENERAL ELECTRIC社製であった。
*注1 万田坑の坑内で使用された電気機関車に、これより古いがものがあった。同じGE社製である。

全部で14輌の15tBが在籍していたが、その導入の歴史を簡単に記しておく。

1~6号  : 1908(明治41)年 7月 予備電動機2台と合わせてGE社より購入
7~10号 : 1910(明治43)年12月 GE社より購入
11,12号 :1920(大正9)年   自社(三池製作所)製造
13,14号 :1923(大正12)年   自社(三池製作所)製造

14輌が在籍していた15tBであるが、事情は不明であるが機号の改番が行われている。
1952(昭和27)年8月、【3~6】を【1~4】に、【7~10】を【5~8】にそれぞれ改番された記録がある。
また、13,14号機は、1952(昭和27)6月に20tB型に改造され、それぞれ31,32号機に生まれ変わった。
もともとの機号の1,2,11,12の行方の詳細は不明である。
また、現在保存されている5号機は、もとの7号機ということになる。

さて、TOPの写真は、明治末期の三池港繋船壁におけるNO.1号機の写真である。
一見してお分かりのように、現在の15tBとの最大の違いは、その運転台にある。
原形は、車体より若干狭い幅で縦長の形状をしていた。坑内用の電気機関車に運転室を追加で設置したかのような印象をうける。
そばに座り込んでいるのが運転士であろうか? 運転台には運転士の姿は見えない。
通称“ガメ電車”は、窓から運転席に入ったことでも知られるが、原形ではどうだったのであろうか?
おそらくは、運転台にドアが設置されていたのではないだろうか・・・。
運転士は、坑内用の電気機関車と同様、機関車端に横向きに座って運転したと考えるのが普通であろう。

ところで、運転台拡幅工事は大正10年~14年にかけて行われているが、その理由は「推進運転の場合に、炭車に前方を遮られて見通しが利かず運転上危険である」というものであった。
同様の理由にて、20tB型の運転室の拡幅がなされていることを付け加えておこう。

さらに、原形ではポール集電であるし、機号の表記も今のものとは違っている・・・


(つづく)