撮影日:1978 9.17
撮影地:石原産業 紀州鉱山
撮影地:石原産業 紀州鉱山
「石原産業 紀州鉱山」と聞いて・・・
「あ~、三重県にあった銅山ね」 なんて言える人は殆どいないでしょう。
“紀州” という名前から、おおよその場所は想像できますけどね。
ここ紀州での銅採掘の歴史は古く、奈良の東大寺大仏建立のときに大量の銅が紀州からもたらされたとのこと。
時代は経て、江戸時代にも紀州鉱山があった紀和町では銅の採掘がおこなわれ、30をこえる銅山が開発されていたらしいい。
近代鉱山としての歴史は、石原産業が1934(昭和9)年に紀和町近隣の鉱区を買収した後、1939(昭和14)年に三和鉱山を合併して紀州鉱山とし操業を開始したことにはじまるようです。
ここ紀州での銅採掘の歴史は古く、奈良の東大寺大仏建立のときに大量の銅が紀州からもたらされたとのこと。
時代は経て、江戸時代にも紀州鉱山があった紀和町では銅の採掘がおこなわれ、30をこえる銅山が開発されていたらしいい。
近代鉱山としての歴史は、石原産業が1934(昭和9)年に紀和町近隣の鉱区を買収した後、1939(昭和14)年に三和鉱山を合併して紀州鉱山とし操業を開始したことにはじまるようです。
さて、鉱山の歴史はこれくらいにして、さっそく鉱山軌道へと歩みを進めましょう(*^_^*)
私が紀州鉱山を知ることになったのは、閉山の頃に趣味誌やマスコミで取り上げられたのがきっかけでしたが、ことのほか印象深かったのは木造の人車が走っていたことでした。
閉山の頃でしたか、 銀座の歩行者天国に、その人車が展示されたなんて事があったような・・・。
閉山の頃でしたか、 銀座の歩行者天国に、その人車が展示されたなんて事があったような・・・。
そして、大学鉄研のある先輩が撮影した紀州鉱山の写真を見せられた私、
「どうにかして紀州鉱山へ行くぞ(^O^) 紀州鉱山の木造人車の列車を撮影したい!!」と思ったのでしたが・・・・・
「どうにかして紀州鉱山へ行くぞ(^O^) 紀州鉱山の木造人車の列車を撮影したい!!」と思ったのでしたが・・・・・
紀州鉱山を訪れることができたのは、閉山して4ヶ月後のことでした(*_*)
何だかよく分からぬ巡検を、和歌山県は新宮にて計画した私達ゼミ一行
調査もそこそこに、友達をさそってレンタカーを借り “いざ三重県は紀和町の紀州鉱山へGO”
慣れない山道を飛ばして、やってきました紀和町板屋の紀州鉱山へ(*^_^*)
調査もそこそこに、友達をさそってレンタカーを借り “いざ三重県は紀和町の紀州鉱山へGO”
慣れない山道を飛ばして、やってきました紀和町板屋の紀州鉱山へ(*^_^*)
そこで出迎えてくれたのが、かのあこがれの木造人車でした・・・。
(つづく)