▲三井三大直系事業利益の推移 1893(明治26)年~1904(明治37)年
出典:畠山秀樹「三池炭鉱の発展と三井鉱山会社」 『福岡県史』通史編 近代産業経済(一) 所収
707頁 第26表「三井三大直系事業利益推移表」をもとに作成
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三池築港の資金計画 その4 「三井のドル箱◇三池炭鉱」
三池築港百話 第二十六話は・・・『三池築港の資金計画 その4 ~三井のドル箱◇三池炭鉱~』
『三池築港の資金計画』の4回目は、1903(明治36)年1月16日の 「第1回 三井家同族会管理部会」に話を進める前に、資金調達と関連して三池築港前後の三井三大直系事業・・・
三井銀行、三井物産、そして三井鉱山の各事業利益について、TOPのグラフをもとに分析を試みたいと思います。
三井銀行、三井物産、そして三井鉱山の各事業利益について、TOPのグラフをもとに分析を試みたいと思います。
早速、TOPのグラフ「三井三大直系事業利益の推移」を詳しく分析していきましょう。
まず、グラフを見て総合して言えることは、この時代の三井鉱山の三井三大直系事業における地位は、三井物産と同等に高いものであるということでしょう。グラフ中の12年間を平均すると、三井鉱山の利益が三井三大直系事業利益の約42%を占めています。さらに、この三井鉱山利益中の三池炭鉱の占める割合は非常に高く、グラフ中の12年間を平均すると、約83%の高率となります。
考えてみると・・・三井物産の利益は、三池炭の販売によって得た利益が大部分を占めていますし、三井銀行にしても、その融資先や為替業務においては三井物産、三井鉱山とも深く関連したものであると言えるでしょう。
このように見てくると、まさに三池炭鉱は今回のタイトル通り“三井のドル箱”であったと言えます。
まず、グラフを見て総合して言えることは、この時代の三井鉱山の三井三大直系事業における地位は、三井物産と同等に高いものであるということでしょう。グラフ中の12年間を平均すると、三井鉱山の利益が三井三大直系事業利益の約42%を占めています。さらに、この三井鉱山利益中の三池炭鉱の占める割合は非常に高く、グラフ中の12年間を平均すると、約83%の高率となります。
考えてみると・・・三井物産の利益は、三池炭の販売によって得た利益が大部分を占めていますし、三井銀行にしても、その融資先や為替業務においては三井物産、三井鉱山とも深く関連したものであると言えるでしょう。
このように見てくると、まさに三池炭鉱は今回のタイトル通り“三井のドル箱”であったと言えます。
次に、国内外の経済状況、炭価の変動、中国(清)を巡る植民地化の動きなどの各視点から、三井鉱山(三池炭鉱)の利益変動について考察を進めましょう。(注1)
先にも述べましたが、この時代の三井物産による三池炭の販路は、量的には国内よりも海外(主に上海や香港などの中国市場 → バンカー炭)がより多くを占め、その利益も圧倒的に海外市場の占める割合が高い状況にありました。したがって、アジアをめぐる石炭市場の構造や、帝国主義諸国の動向に大きく左右されることになっていくのでした。
以下、年代順にこれらの動向を織り交ぜながら、利益の変動要因について簡単な分析をしてみましょう。
以下、年代順にこれらの動向を織り交ぜながら、利益の変動要因について簡単な分析をしてみましょう。
1894(明治27)年 日清戦争による需要拡大
1895(明治28)年 三池炭鉱単独で100万円を越す利益を上げる
1896(明治29)年 海運不況
1897(明治30)年 膠洲湾事件 ドイツが、ドイツ系キリスト教宣教師殺害事件を口実に軍隊を派遣し、山 東半島を占領
1898(明治31)年 国内での鉄道・工場の建設ラッシュが続き、石炭需要が急速に拡大 サウス・ウエールズ(イギリス)の炭鉱で、4月から5ヶ月間のストライキ発生 その影響を受け、国際的に炭価が急上昇し、2年間に渡り各年約180万円もの利益を 上げる
1900(明治33)年 北清事変(義和団事件)発生 清に日本も軍隊を派遣する
ストライキで急上昇した炭価が落ち着きを取り戻す
筑豊の山野・田川炭鉱での出炭が本格化し、三池炭鉱以外の利益が拡大する
1901(明治34)年~ 国内外の石炭需要拡大に支えられ、三池炭鉱の利益が常時年間100万円以上をあ げる
1904(明治37)年 日露戦争勃発
1895(明治28)年 三池炭鉱単独で100万円を越す利益を上げる
1896(明治29)年 海運不況
1897(明治30)年 膠洲湾事件 ドイツが、ドイツ系キリスト教宣教師殺害事件を口実に軍隊を派遣し、山 東半島を占領
1898(明治31)年 国内での鉄道・工場の建設ラッシュが続き、石炭需要が急速に拡大 サウス・ウエールズ(イギリス)の炭鉱で、4月から5ヶ月間のストライキ発生 その影響を受け、国際的に炭価が急上昇し、2年間に渡り各年約180万円もの利益を 上げる
1900(明治33)年 北清事変(義和団事件)発生 清に日本も軍隊を派遣する
ストライキで急上昇した炭価が落ち着きを取り戻す
筑豊の山野・田川炭鉱での出炭が本格化し、三池炭鉱以外の利益が拡大する
1901(明治34)年~ 国内外の石炭需要拡大に支えられ、三池炭鉱の利益が常時年間100万円以上をあ げる
1904(明治37)年 日露戦争勃発
さて、以上の分析を通して、三池築港の資金計画の視点から注目する点は・・・
1898(明治31)年以来、三池炭鉱単独での年間利益が、毎年100万円を優に超えているということでしょう。
三井鉱山全体の利益を合わせれば、1902(明治35)の段階にて、単純ではありますが約2年分の利益を当てれば三池築港は可能であるということになります。
三井鉱山全体の利益を合わせれば、1902(明治35)の段階にて、単純ではありますが約2年分の利益を当てれば三池築港は可能であるということになります。
このように“三井のドル箱”として発展をつづける三池炭鉱にあって、団琢磨は新たなる三池築港資金調達についての提案を、1903(明治36)年1月16日の 「第1回 三井家同族会管理部会」に提出したのでした。
次回は、すでに三池築港の鍬入れ式も行われた後の、1903(明治36)年1月16日の 「第1回 三井家同族会管理部会」と、団琢磨の三池築港の資金計画にかけた思いに迫ってみたいと思います。
(つづく)
◆注1 隅谷三喜男 『日本石炭産業分析』 岩波書店 昭和43年発行
第三章 石炭産業における資本制生産の展開 第二節 筑豊石炭産業の市場構造 を参考にした
第三章 石炭産業における資本制生産の展開 第二節 筑豊石炭産業の市場構造 を参考にした