撮影日:1979 3.17
撮影地:三井串木野鉱山 野下坑口
民家脇を通過した製錬所からの空鉱石列車は、先に紹介した車庫と長く連なる放置鉱車の間をゆっくと通過していきます。
この写真右奥に野下坑口があったはずですが、残念ながらこの場所までの撮影となりました。
この写真右奥に野下坑口があったはずですが、残念ながらこの場所までの撮影となりました。
この写真よく見ると・・・架線や架線柱の白い碍子が目にとまります。
そして、左手の車庫には色違いの2両の人車が収まっていますね。
また、右側の黄色い鉱車脇の木造家屋は、鉱山関係のものであると思われますが、全く記憶に残っていません。車庫とセットで、鉱車などの修理工場でしょうか?
そして、左手の車庫には色違いの2両の人車が収まっていますね。
また、右側の黄色い鉱車脇の木造家屋は、鉱山関係のものであると思われますが、全く記憶に残っていません。車庫とセットで、鉱車などの修理工場でしょうか?
ところで、下の古い絵葉書を見てみると、この軌道のはじまりは馬車鉄道であることがわかります。
時代としては、明治~大正頃の写真でしょう。
時代としては、明治~大正頃の写真でしょう。
絵葉書の題名は、「三井串木野鉱業所 西山坑通洞口」とあります。
串木野金山の主要な坑口は、この西山坑で通称一坑と称されていたようです。
此処に眠る金鉱脈は、「日本でも屈指の巨大鉱脈であり、総延長2,600m,脈幅3~60m,上下連続450m以上を示す」ものであるとのこと。(「 」内は、資源・素材学会 1989年による)
此処に眠る金鉱脈は、「日本でも屈指の巨大鉱脈であり、総延長2,600m,脈幅3~60m,上下連続450m以上を示す」ものであるとのこと。(「 」内は、資源・素材学会 1989年による)
絵葉書の西山坑通洞口が、この時訪問した野下坑口付近を指すものと思われます。
古くは馬車鉄道の時代から、串木野金山の鉱石を運搬してきたこの軌道敷きでありました。
古くは馬車鉄道の時代から、串木野金山の鉱石を運搬してきたこの軌道敷きでありました。
(つづく)