◆三池炭鉱 〈明治2年~7年〉 年譜抄録

1869(明治 2)年 6月       版籍奉還により三池藩主立花種恭は藩経営の炭山稲荷山及生山を藩士一同                      ヘ下渡す

1871(明治 4)年11月14日   旧三池藩士一同より予て出願中の三池炭山受負稼の儀許可となる

1872(明治 5)年 1月 9日  生山、平野山の境界争再び始まる 
             3月      「鉱山心得」布告される           
             4月      三潴県より生山、平野山両山の境界争の中止方を命す
             6月      大浦坑水害のため廃坑となる

1873(明治 6)年 5月18日   鉱山大属小林秀知三池炭山を巡視す
             5月       平野山、稲荷山及生山の各炭山に官山仰付けらる
             6月16日   工部省鉱山寮鉱山権頭吉井亨、同大属小林秀知及技長ゴツトフレー三池炭                      山を点検す
             7月20日   日本坑法公布さる(同年9月1日より実施)
             7月       三潴県囚人を三池炭山に初めて使用す                                               (龍湖瀬から大牟田港に至る坑外運炭の労役に使用)
            12月       三池鉱山支庁を三池郡下里村旧石炭会所跡に設置し、鉱山大属小林秀知主                      任となる 

1874(明治 7)年 4月       平野山没収の代償として旧坑主小野隆基ヘ金15000円也を下附す
             5月       島原港に石炭置場を設置す
             6月  8日  島原港問屋の名称を鉱山寮用達と改称す
             7月  3日  中小浦坑々内にて、掘夫某負傷後死亡手当金5円也を支給す、手当金支給の                      初めなり
             8月20日   大暴風雨あり、三池各山は勿論民家田畑の損害甚し
             9月      稲荷山及生山没収の代償として、旧三池藩士ヘ金26000円也を下附す