
▲ The Staithes, Dunston-on-Tyne.
〈出典〉1900年頃の絵葉書より:Newcastle-upon-Tyneの対岸にあるDunstonにあった高架桟橋
明治31年 團・牧田の海外視察 その8 「Dunston Staiths」
三池築港百話 第十五話は、牧田環(まきた たまき)の残した日記や談話をもとに、三池築港前史を繙く・・・その8回目 「Dunston Staiths」です。
今回の時計の針も、三池築港工事が始まる4年前の1898(明治31)年頃となります。
前回は、牧田が「Tyne Dock」を視察した日の日記を旅しましたが、今回はNewcastle-upon-Tyneの対岸 Dunston-on-Tyneにあった高架桟橋を旅したいと思います。
早速ですが、TOPの絵葉書がDunstonにあった木造の高架桟橋です。
牧田がこの高架桟橋を訪れたという記録はありませんでしたが、調べていく内に牧田がNewcastleを訪問した1898年当時のStaiths(高架桟橋)は、この絵葉書とは違っていたことが分かってきました。
牧田がこの高架桟橋を訪れたという記録はありませんでしたが、調べていく内に牧田がNewcastleを訪問した1898年当時のStaiths(高架桟橋)は、この絵葉書とは違っていたことが分かってきました。
それでは、1897年当時の「Dunston Staiths」の地図を見てみましょう。

▲ 1897年 「Durham」 1/2,500 地形図(部分)
Tyne川に沿って、桟橋が見て取れます。
この高架桟橋は、1893年にNorth Eastern Railway CO.によって築造されました。
当初は、この地図中にあるようにTyne川に沿った1本の高架桟橋でしたが、1903年にこの桟橋と隣接して2本目の高架桟橋が築造されています。
この高架桟橋は、1893年にNorth Eastern Railway CO.によって築造されました。
当初は、この地図中にあるようにTyne川に沿った1本の高架桟橋でしたが、1903年にこの桟橋と隣接して2本目の高架桟橋が築造されています。
次に、1907年の地図を見てみましょう。

▲ 1907年 「Durham」 1/2,500 地形図(部分)
この地図を見ると、新しく築造された高架桟橋の南側に、新たに掘り込んだ潮泊渠(閘門式のドックではなく、高潮時には満水となる港)が確認できます。
私が当初目にしていたTOPの絵葉書は、1903年に築造された「Dunston Staiths」の姿であったわけです。牧田は、1898年時点ではこの「Dunston Staiths」ではなく、より三池築港計画の参考になる「Tyne Dock」を視察地として取り上げたのでしょう。
ところで、この「Dunston Staiths」の長さは526m、高さ20mの巨大な木造建造物でした。
Tyne川と潮泊渠の両側に、それぞれ6ヶ所のシュートが設置され、かなりの勾配で線路が敷設されていました。
1920年代のピーク時には、週あたり140,000tの石炭を出荷していましたが、1980年には解体されてしまったようです。しかし、解体された木材のほとんどが保存されていたようで、1990年の“The Gateshead National Garden Festival”時に再築造され現在に至っています。(注)
Tyne川と潮泊渠の両側に、それぞれ6ヶ所のシュートが設置され、かなりの勾配で線路が敷設されていました。
1920年代のピーク時には、週あたり140,000tの石炭を出荷していましたが、1980年には解体されてしまったようです。しかし、解体された木材のほとんどが保存されていたようで、1990年の“The Gateshead National Garden Festival”時に再築造され現在に至っています。(注)
このDunstonにあった木造の高架桟橋ですが、見てすぐに思い出されるのは北海道の小樽・室蘭に当時の鉄道院が築いた木造の高架桟橋でしょう。
(この小樽・室蘭の高架桟橋については、また後ほど詳細に触れたいと思います)
(この小樽・室蘭の高架桟橋については、また後ほど詳細に触れたいと思います)
さて、Newcastle-upon-Tyneにての牧田日記には、1898年当時にNewcastleに滞在していた日本人の名が数名記されています。例をあげると・・・
十一月 二十二日:日本郵船会社 藤島範平 , 神戸水道 蔵重氏
同 二十三日:工科大学助教授 寺野精一
同 二十七日:海軍造兵将校 有坂・山本氏
同 二十三日:工科大学助教授 寺野精一
同 二十七日:海軍造兵将校 有坂・山本氏
1880年代、90年代のNewcastleは、日本向け戦艦の建造に伴って多くの日本人の監督者や技師が滞在し訓練を受けていたようです。当時の日本海軍は英国を手本とし、後の海軍艦船の多くが北東イングランドのアームストロング=ミッチェルArmstrong-Mitchell社に発注されることとなりました。
かの東郷平八郎も、日露戦争後の1911年にNewcastleを訪れ、海軍発展の原動力が北東イングランドにあったことを感謝し、大歓迎を受けているようです。
かの東郷平八郎も、日露戦争後の1911年にNewcastleを訪れ、海軍発展の原動力が北東イングランドにあったことを感謝し、大歓迎を受けているようです。
Newcastle-upon-Tyneは、当時世界有数の工業都市であったのでした。
(つづく)
◆注 現在の「Dunston Staiths」の様子は、下記のHPにてご覧になれます
http://newcastlephotos.blogspot.com/2006/06/dunston-staiths.html
http://newcastlephotos.blogspot.com/2006/06/dunston-staiths.html