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撮影日:1979 3.17
撮影地:三井串木野鉱山

串木野鉱山軌道 (その1)  製錬所上部にて

名残惜しい中、明延鉱山シリーズが終了して1ヶ月以上立ちました。
次は、「九州の三井串木野鉱山の軌道だ」と計画しながらも、なかなか書庫を立ち上げるまでに至りませんでした・・・。

明延鉱山と比較すると、枚数も少なくその規模も小さい串木野鉱山の軌道です。
ほとんど紹介されることはなかったのではないかと思い、やっとここに書庫を開設致しました。
計6回ほどの短いシリーズとなりますが、南国鹿児島にあった3㎞ほどの鉱山軌道をどうぞお楽しみ下さい。

さて、三井串木野鉱山(当時)を訪ねたのは、1979(昭和54)年3月17日のことです。
当時大学生だった私は、伯父さんが勤めている串木野鉱山を一人訪ねたのでした。
国鉄串木野駅まで迎えに来てもらい、守衛さんのいる鉱山の門をくぐり小高い山にある社宅に着いたことを思い出します。
当時の社宅には、隠れ部屋の女中部屋があったり、五右衛門風呂だったりといまから思えば前時代的な造りのものでした。

ところで、この串木野鉱山の始まりは万治年間(1658~)とも鎌倉時代とも言われていてその詳細はよく分かっていません。江戸時代は主に島津家によって採掘が行われていましたが、明治期になり三井鉱山合名会社が鉱区を買収し、近代的な採掘がはじめられました。
私が訪ねた時点では、「三井串木野鉱山株式会社」として採掘を行っていましたが、ご存じのように1988(昭和63)年に坑道の一部を利用した観光施設“ゴールドパーク串木野”が開業されましたが、2003(平成15)年には閉園の止むなきに至ってしまいました。

今回写真でお伝えするのは、この“ゴールドパーク串木野”があった串木野1号ひ西端の野下坑口から製錬所の上部までの軌道です。

それでは、3㎞余りの短いながらも、長年に渡り金鉱山を支えてきた鉱山軌道の探索に出かけてみましょう。


(つづく)