▲Bute Dock Offices,Cardiff
〈出典〉1900年頃の絵葉書より : Bute dockの入り口に、1897年に建設されたドック事務所。
明治31年 團・牧田の海外視察 その2 「十一月十六日 Park Hotel」
三池築港百話 第九話は、牧田環(まきた たまき)の残した日記や談話をもとに、三池築港前史を繙く・・・その2回目 「十一月十六日 Cardiff Park Hotel」です。
今回の時計の針も、三池築港工事が始まる4年前の1898(明治31)年頃となります。
さて、今回はいきなりこの海外視察日記のハイライトを見てみることにしましょう。
日記の日付は〈十一月十六日〉 場所は〈 Cardiff Park Hotel の喫煙室 - イギリス:カーデフ〉です。
早速、この日の日記全文を見ましょう。
日記の日付は〈十一月十六日〉 場所は〈 Cardiff Park Hotel の喫煙室 - イギリス:カーデフ〉です。
早速、この日の日記全文を見ましょう。
十一月十六日 曇 八時起十時半ノ汽車ニテ諸氏ト共ニ Aberdare staition ニ赴く 直ニ Powell Duffryn Colliery ニ行ク 同坑員ノ案内ニテ Davey's pumping Engine ヲ見ル 松原氏ト同坑々坑底ニ下リ喞筒装置ヲ一覧ス 更ニ出坑ノ上同会社本坑事務所ニ立寄リ坑外装置ヲ巡視ス 午後三時ニ及ブ 諸氏共ニ同坑ヲ辞シ停車場ニ赴ク 途中酒屋ニ立寄リ「パン」「バター」ヲ食シ「ビール」ヲ傾ク 午後三時過ノ汽車ニテ「カーデフ」ニ帰ル 六時夕食後団氏等ト喫烟室ニテ三池炭坑ノ事ヲ談ス
出炭一日六千噸 宮ノ原千五百、 勝立千五百、 万田三千噸
大牟田築港 新ドック築立及水道浚渫、大船四五艘同時ニ石
炭積入レノコト 坑内喞筒ニ水力ヲ用ユルコト 役員ニ責任
ヲ持タシ充分ニ働カスコト等云々
フヒスキー一杯ヲ傾ケ十一時半就褥
志 片
六 十 汽車代カーデフ及アバデーン間
一 〇 鉱山案内員心附
カーデフ及アバデーン間二十四哩
出炭一日六千噸 宮ノ原千五百、 勝立千五百、 万田三千噸
大牟田築港 新ドック築立及水道浚渫、大船四五艘同時ニ石
炭積入レノコト 坑内喞筒ニ水力ヲ用ユルコト 役員ニ責任
ヲ持タシ充分ニ働カスコト等云々
フヒスキー一杯ヲ傾ケ十一時半就褥
志 片
六 十 汽車代カーデフ及アバデーン間
一 〇 鉱山案内員心附
カーデフ及アバデーン間二十四哩
一行は、6月29日にバンクバー着。アメリカ各地を視察した後の9月17日、英国船カンパニア号(注)にてニューヨーク発。9月24日、リバプールを経てロンドン着。団と松原は、デビー氏(注) の薦めにて10月3日から11月6日の間、ドイツ等の炭坑を視察。その間、牧田は一人イギリスに残り、精力的に各地の炭坑や港の視察を行う。
その後、デビー氏を伴い3人揃って6日間のカーデフ近郊視察の旅へ出たところで、今回の日記となります。
その後、デビー氏を伴い3人揃って6日間のカーデフ近郊視察の旅へ出たところで、今回の日記となります。
3人が訪れたカーデフは、当時世界随一の石炭積出港です。
南ウエールズの炭鉱から鉄道で運ばれてきた石炭は、ここカーデフの港からイギリス国内はもとより、海外へも盛んに輸出されていました。
この旅の最大の目的は、カーデフ港の港湾施設を視察することであったと思われます。
日記から、その視察の行程を追ってみると・・・
南ウエールズの炭鉱から鉄道で運ばれてきた石炭は、ここカーデフの港からイギリス国内はもとより、海外へも盛んに輸出されていました。
この旅の最大の目的は、カーデフ港の港湾施設を視察することであったと思われます。
日記から、その視察の行程を追ってみると・・・
11月14日 Barry dock 視察 クレーンやドックゲートの開閉を見学
15日 Dowlais Cardiff Colliery 視察
17日 Cardiff dock 視察 目下工事中の新ドッグ及びBute dockの石炭積込方法を見学
15日 Dowlais Cardiff Colliery 視察
17日 Cardiff dock 視察 目下工事中の新ドッグ及びBute dockの石炭積込方法を見学
18日 Merthyr vale Colliery 視察
19日 Mountain ash Colliery 視察 ロンドンに帰着
カーデフ港の視察を明日に控え、ホテルの喫煙室にて三池築港の計画案を語る3人の姿をお伝えしたところで、今回は終わりといたしましょう。19日 Mountain ash Colliery 視察 ロンドンに帰着
(つづく)
◆注 : デビー氏とは、勝立坑に導入された“デビーポンプ”製造元のデビー社(HATHORN.DAVEY&CO.)
のこと。 団一行は、ロンドンに着き次第このデビー社を訪問、ポンプ研究の相談をしている。
『男爵團琢磨伝』(270頁)によると・・・「当時独逸にて使用せる水圧利用の排水機械を一見すべしとのことに、デーヴィと独逸のデュッセルドルフにて落ち合う約束にて君は松原を伴ひて大陸に向ひ、牧田は英国に留まって海底の石炭採掘法を調査した」 とある。
のこと。 団一行は、ロンドンに着き次第このデビー社を訪問、ポンプ研究の相談をしている。
『男爵團琢磨伝』(270頁)によると・・・「当時独逸にて使用せる水圧利用の排水機械を一見すべしとのことに、デーヴィと独逸のデュッセルドルフにて落ち合う約束にて君は松原を伴ひて大陸に向ひ、牧田は英国に留まって海底の石炭採掘法を調査した」 とある。
◆注 : ▼ LIVERPOOL R.M.S.S. “CAMPANIA”