▲ 三池沿岸概畧圖(一部)
〈出典〉 「三池鑛山用ノ築港計畫要畧」中の 計畫附属圖第壱號
明治22年の築港計畫要畧 その4 「築港計畫二案」
三池築港百話 第六話は、石黒五十二・長崎 桂になる「三池鑛山用ノ築港計畫要畧」をもとに、三池築港前史を繙く その4回目 「築港計畫二案」です。今回の時計の針も、官営三池炭鉱が三井に払い下げられた年の1889(明治22)年頃となります。
さっそく、石黒五十二技師による「築港計畫二案」を見てみることにしましょう。
三池鑛山用ノ築港計畫の第一案とは・・・
大船の繋泊場を沖合に築造し、橋梁あるいは防波堤により陸地と相連続し、以て本船に搭載の便を計画すること
この案は、大型船が停泊できる沖合に向けて「橋梁あるいは防波堤」を築き、そこに鉄道を敷設して船積を行うという計画です。具体的には、諏訪川河口より水深貳拾四尺(約7.2m)ないし三拾尺(約9.1m)の地点まで、およそ壱里(約3.9㎞)の防波堤を築くというものでした。
(橋梁は、有明海の柔軟なる海底の泥土堆積により築造は困難でり、巨額の費用が予想されるので没・・・)
この第一案の工費は、百五拾万円と第二案よりも安価ですが、「将来永続の完全なるものとは言えない」計画でした。
(橋梁は、有明海の柔軟なる海底の泥土堆積により築造は困難でり、巨額の費用が予想されるので没・・・)
この第一案の工費は、百五拾万円と第二案よりも安価ですが、「将来永続の完全なるものとは言えない」計画でした。
そこで、三池鑛山用ノ築港計畫の第二案の登場・・・
防波堤を築造し、泊船渠を海岸に搆造して大船を該渠内へ寄せ得べき航路を開き、もって本船に搭載の便を計画すること
この第二案こそ、“元祖 三池港”の築港計画に当たります。
その概略を述べると・・・
①四ツ山より、総延長千六百三拾七間(約2.96㎞)の南堤を築造し、その先端部に港燈を設置する
②諏訪川河口より、総延長貳千三百五拾間(約4.27㎞)の北堤を築造する
③潮の干満の差に関係なく、石炭を船舶に搭載するために停船渠を設ける
④停船渠に達する鉄道を敷設する
②諏訪川河口より、総延長貳千三百五拾間(約4.27㎞)の北堤を築造する
③潮の干満の差に関係なく、石炭を船舶に搭載するために停船渠を設ける
④停船渠に達する鉄道を敷設する
この第二案の工費は、貳百万円なり。
これら二つの三池築港計画を図にしたのが、先の「三池沿岸概畧圖」で、その一部を拡大したものを今回のトップに載せてみました。
諏訪川の北にある片平山の麓を通過し、川尻村にいたる運炭鉄道とそれに続く第一案の防波堤、
そして、南北の堤防に守られるようにして三川村に計画された長方形の「停船渠」が見てとれます。
諏訪川の北にある片平山の麓を通過し、川尻村にいたる運炭鉄道とそれに続く第一案の防波堤、
そして、南北の堤防に守られるようにして三川村に計画された長方形の「停船渠」が見てとれます。
次回は、この“元祖 三池港”の「停船渠案」の詳細を見ることにいたしましょう。
(つづく)