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  ▲ 三池沿岸概畧圖  

 〈出典〉  「三池鑛山用ノ築港計畫要畧」中の 計畫附属圖第壱號 

明治22年の築港計畫要畧 その3 「築港ノ調査」

三池築港百話 第五話は、石黒五十二・長崎 桂になる「三池鑛山用ノ築港計畫要畧」をもとに、三池築港前史を繙く その3回目 「築港ノ調査」です。
今回の時計の針も、官営三池炭鉱が三井に払い下げられた年の1889(明治22)年頃となります。

さっそく、石黒五十二技師による築港の調査を具体的に見てみることにしましょう。
「三池鑛山用ノ築港計畫要畧」では、①三池近傍の海岸の実況 ②干満水位の実験 ③潮流の方向 ④暴風の景況 と、以上4つの観点から自然条件の状況調査報告がなされています。
それぞれの要旨を簡単にまとめてみました。

まずは、①三池近傍の海岸の実況から・・・
三池海岸の実況は、遠浅にて干満の差が激しく海岸線より最干潮の際には、最も遠くで貳千間(約3.64㎞) 近くでも千三百間(約2.36㎞)の砂州となる。また、水深二十尺(約6.1m)に達するところまでは、最も近いところでも千七百間(約3.1㎞)の沖合に行かなければならない。また、遠浅で緩やかな傾斜である広大な砂州には、諏訪川・手鎌川・矢部川・沖端川・筑後川などから流れ下る砂泥が沈殿している。    

次に、②干満水位の実験より・・・
  一 春秋両期大潮の際干満の差          十八尺四寸(約5.6m)
  一 尋常大潮干満の差                十七尺五寸(約5.3m)
  一 満潮水位の平均と干潮水位の平均差     十貳尺五寸(約3.8m)

さらに、③潮流の方向より・・・
三池海岸に於いては、上潮・下潮ともに潮流の方向は常に一定である。潮流は、北方の黒崎より深浦・深倉・手鎌・横須(地図中では「横洲」となっている)等の海辺に沿って、東北から西南に流れる。

最後に、④暴風の景況・・・
三池地方に於いて、数年実検したものによると「東南の暴風が最も激しい」という結果である。春秋大風の節は、必ず北より始め東に転じ、漸次東南・南西・西南に回転して遂に西に転じて止むを常としている。風位東南に転するに従って、風勢が最も強烈となるが、東南は陸地からの風であり港湾に害を及ぼすことは少ないと考えられる。 

以上、簡単に自然条件の状況調査報告をまとめてみましたが、これらの内容は先の地図「三池沿岸概畧圖」にまとめて記入されています。
少し見にくいとは思いますが、この地図には潮流の方向(横須沖の矢印)や水深、そしてこの時点で考えられていた“元祖 三池港”の青写真が描かれています。

次回からは、この“元祖 三池港”の築港案をより具体的に見ていくことにしましょう。  

(つづく)