撮影日:1978年 3月 2日
撮影地:島原鉄道 加津佐駅
加津佐駅ホームのユニ202
今を去ること、ちょうど30年前・・・大学時代の鉄研春合宿が、島原半島の国民宿舎原城荘であった時です。
島原鉄道の終点である加津佐駅から、原城荘の最寄り駅である原城駅までの約10㎞を歩いたのでした。
大牟田は三池港の内港南岸壁桟橋(当時)から、島原観光汽船の高速船にて島原外港へ。
島原外港駅から加津佐駅まで、島鉄に揺られたあとの沿線紀行です。
限定10枚だけのコダクロームスライドを、今しばらくお楽しみ下さいませ。
島原外港駅から加津佐駅まで、島鉄に揺られたあとの沿線紀行です。
限定10枚だけのコダクロームスライドを、今しばらくお楽しみ下さいませ。
第1回目は、加津佐駅のホームに佇む ユニ202 です。
30年前は、まだ貨物・荷物輸送のスジがあり、この時もD37が元気に活躍していました。
加津佐駅のホームでは、ちょうど荷物の積み込み作業中です。
ユニ202には、郵便マークに荷物標記がある歴とした「ユニ」でしたが、車番はキハ202のままだったような記憶があります(@_@)
よく見ると、諫早よりの車端には荷台がついていて、当時の私は古色蒼然とした感じを受けたものです。
30年前は、まだ貨物・荷物輸送のスジがあり、この時もD37が元気に活躍していました。
加津佐駅のホームでは、ちょうど荷物の積み込み作業中です。
ユニ202には、郵便マークに荷物標記がある歴とした「ユニ」でしたが、車番はキハ202のままだったような記憶があります(@_@)
よく見ると、諫早よりの車端には荷台がついていて、当時の私は古色蒼然とした感じを受けたものです。
車歴を調べてみると・・・
1933(昭和8)年5月 日本車両製
中国鉄道キハユニ110 ⇒ 国鉄キハユニ110 ⇒ 島鉄キハ202 ⇒ 改造 ですね。
1933(昭和8)年5月 日本車両製
中国鉄道キハユニ110 ⇒ 国鉄キハユニ110 ⇒ 島鉄キハ202 ⇒ 改造 ですね。
何ともいえない味のある車両達が、ここ島鉄には在籍していました。
(つづく)