▲ 三 川 海 岸 「開港前に於ける三池港」
〈出典〉 町田定明 『三井三池各事業所写真帖』 大正15年6月 町田写真館発行 より
福岡県立図書館所蔵
福岡県立図書館所蔵
※この写真は、福岡県立図書館の「特別複写及び特別利用承認」を得て掲載するものです。
以後の『三井三池各事業所写真帖』よりの写真も、同様の許可を受けて公開するものです。(管理人)
⇒写真をクリックすると、より鮮明な大画面にて見ることができます
以後の『三井三池各事業所写真帖』よりの写真も、同様の許可を受けて公開するものです。(管理人)
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風光明媚な三川海岸
三池港築港百周年を記念して、今回からその歴史や現在の様子などについて、写真・絵葉書・地図などをもとに見ていきたいと思います。題して 『三池築港百話』
と称していますが・・・ 百話もつづける自信はございませぬ(*_*)
ですが、“百周年”にちなんで何とか頑張ってみようかと思っているところであります。
さて、第一話は 『なぎなた洲 ~三川海岸~』 三池築港前史(1)であります。
今年でちょうど築港百周年になるということは、三池港の築港は1908(明治41)年にさかのぼるということになります。
今回の写真は、三池港築港以前の三川村(当時)です。
たぶん四ツ山(二頭山)からの写真で、北方の諏訪川方面を望んでいます。
詳しくは、写真上方が三川村大字川尻字中野開、下方が三川村大字三里字二頭山方面になります。
(この写真は、トリミングしたものではないか? という感じがします)
今回の写真は、三池港築港以前の三川村(当時)です。
たぶん四ツ山(二頭山)からの写真で、北方の諏訪川方面を望んでいます。
詳しくは、写真上方が三川村大字川尻字中野開、下方が三川村大字三里字二頭山方面になります。
(この写真は、トリミングしたものではないか? という感じがします)
『三井三池各事業所写真帖』の発行者である町田定明氏の解説(注)によると・・・
「三池港ができる前の三川海岸、明治39年頃という」とありますが、もう少し古いのではないかと思います。
四ツ山築港(当初の呼び名は四ツ山でした)の鍬入れ式は、1902(明治35)年11月 3日とありますし、1905(明治38)年10月には専用鉄道が四ツ山まで開通していました。
また、1907(明治40)年には四ツ山発電所(当時)が三池港に先駆けて竣工していることから、少なくとも、明治39年よりはもう3~4年前の頃ではないでしょうか?
「三池港ができる前の三川海岸、明治39年頃という」とありますが、もう少し古いのではないかと思います。
四ツ山築港(当初の呼び名は四ツ山でした)の鍬入れ式は、1902(明治35)年11月 3日とありますし、1905(明治38)年10月には専用鉄道が四ツ山まで開通していました。
また、1907(明治40)年には四ツ山発電所(当時)が三池港に先駆けて竣工していることから、少なくとも、明治39年よりはもう3~4年前の頃ではないでしょうか?
「ここは、なぎなた洲ともいわれていたのどかな海岸である。山水明眉な眺めで・・・」と先の解説にあるように、遠浅の有明海に面したのどかな三川村の海岸線が偲ばれます。
この弓なりの海岸線に、後の三池港が誕生することになるのです。
この弓なりの海岸線に、後の三池港が誕生することになるのです。
(つづく)
◆注 「 」内は、安元 薫 『ふるさとの想い出写真集 大牟田』1982年 国書刊行会発行 中の写真 「137 三川海岸」の解説文より引用。今回取り上げた写真と同様のものが再録されている。
ちなみに、『三井三池各事業所写真帖』では「開港前に於ける三池港」という題がつけられている。
ちなみに、『三井三池各事業所写真帖』では「開港前に於ける三池港」という題がつけられている。
◆ 『三池港の面影 (其一)』 と題する絵葉書があります。この写真と同じものだと思われます。
ご覧になりたい方は、「最近のトラックバック」中の「三池港の面影 三池炭鉱」からお入りください。
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