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WELCOM TO ITAZUKE AIR BASE

今回は、1955年頃に発行されてと思われる板付基地のパンフレットを見てみましょう。

表紙には「WELCOM TO ITAZUKE AIR BASE」の文字と、戦闘機・レーダー基地の絵で飾られています。
このパンフレットは、当時の米空軍 第8空軍基地グループによって作成されました。
(印刷については、パンフ裏表紙によると Printed by Kaneko Printing Co., Fukuoka, Kyushu です)

発行年代はよく分からないのですが、パンフレットの説明内容などから推測して1955年~1960年頃のものと思われます。
この頃の歴史を振り返ってみると・・・1950年に始まった朝鮮戦争が1953年7月に休戦となってから数年後という時期になりますね。

ここで『春日市史』の記述をもとに、当時の基地内の様子を見てみましょう。
昭和28年7月に休戦協定が成立し、第6160航空団は29年の夏までかけてアネクスにハウスを建てたが、まもなく第8戦闘爆撃航空隊が板付に戻って指揮権を掌握したために解散し、別に第6143基地業務群が編成された。(中略)
昭和32年1月現在で、基地の米軍は6393人、軍属と家族が2881人、このうち1880人は基地外ハウスに住んでおり、日本人従業員は2741人であった。             ◆『春日市史』 P403~404より引用 

1957年現在で、約1万人ほどの軍人と家族が住んでいたことになりますね。
ここ春日のアネクス(付属基地)に赴任して、このパンフレットを手にした米兵とその家族がいたことでしょう。

次に、裏表紙を見てみましょうか。
先の写真の左半分となります。
そこには板付を中心とした地図と、「CROSSROADS OF THE FAR EAST」の文字があります。
ここ板付基地は、「極東の十字路」に位置しているということでしょう。

ところで、表紙のジェット戦闘機は、F86ですかね?
◆米軍関係の用語や戦闘機については、私詳しくはありません。
何か付け加えやおかしな点がありました、遠慮なくコメントを下さいませ。

さて、このパンフレットの内容に進む前に、アネクス(付属基地)の地図を見てみましょう。

MAP OF BASE ANNEX

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◆見づらいときには、地図をクリックすると拡大できます

パンフレットにあった地図に、説明用の番号と2つあったゲート・HQの標記を追加しています。
また、前回のカイヅカイブキの並木があった場所を緑楕円で、カエデの並木を赤楕円で囲んでみました。
地図の上側は東で、現在JR鹿児島線が走っています。
地図の左側は北で、「NORTH GATE」の前の道路が今もベース通りと呼ばれいます。
このゲート付近は、現在では航空自衛隊西部航空方面隊司令部がある春日基地となっています。

今後も、かつての基地内の様子やハウスについての報告をつづけます。
今回はここまで・・・。

(つづく)