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旭町1号踏切

今回は、旭町1号踏切シリーズの増補版 その4です。

以前の報告にて、こんなこと書いてました。
ところで、旭町支線の開通は、1897(明治30)年ですので、優に100年以上の歳月が流れています。
この100年あまりの間、メンテナンスを繰り返しながらここにあることになりますね。
このような観点から旭町1号踏切を見てみると、あらたな感慨をもってせまってきます。
踏切小屋を覗いてみると、何だか時代がかったレバーが見えます。
こんど行った時は、踏切小屋の内部をぜひ観察させてもらいたいと思いますね。

お彼岸の里帰りに、再び旭町1号踏切を訪れました。
あのレバーのついた踏切昇降機を見たいと思い、踏切小屋に出向きました。

係員の方にお願いして、写真を撮影させていただきお話も伺いました。
それによりますと・・・
○レバーの付いた機械はいつの時代のものか定かでない
○戦後にハンドルから電動式に改造された
○以前は1本のワイヤーにて上下させていたが、現在の2本ワイヤーよりも調整が難しかった
○猛暑の夏などは、鉄製の踏切支柱が伸びたりして、ワイヤーの調整が必要である
○踏切遮断と踏切信号機が連動しているが、交通量が多い国道にあるので、踏切遮断の際はかなり気をつかう

JRからの貨物引き取り列車が通るまでの間に、お話を伺いました。
この有人踏切も、日々人の手が入り整備され、今もここにあることがよく分かります。

ところで、あのレバーの横には入・切の文字があり、かつてはレバーで上下させていたことは確かでしょう。国道が今のように拡幅されたのは戦災後だと思いますが、旭町支線の開通は、1897(明治30)年ですのでこの機械、踏切があった戦前から存在していたのは間違いなさそうです。

時代がかった2つのレバー

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かつては手動ハンドルを使ってました

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撮影日:2007年9月24日
撮影地:大牟田市旭町