時速25km/hのゆっくりした世界です。
写真は、この炭鉱電車の最初の3枚と同じに日に撮った5枚の内の1枚。
撮影日:1975年11月24日
撮影地:玉名支線 宮内駅~大平駅
撮影地:玉名支線 宮内駅~大平駅
ところで、今まで私がweb上や写真集・雑誌でみかけた炭鉱電車の中で、この宮内~大平間で撮られた写真は、それほど多くはありません。
写真集の中で、最も多くのページと写真を掲載しているものは、宇都宮 照信編『九州 道の記憶Ⅱ』西日本新聞社(2004年2月1日発行)ですが、その「三井三池港務所鉄道」最初のページは、加地一雄さん撮影の大平~宮内間の炭鉱電車最終日(1984年10月1日 さよなら運転)の写真です。
三井の社紋と日の丸をあしらった31号機牽引の列車ですね。
三井の社紋と日の丸をあしらった31号機牽引の列車ですね。
この記事の担当は井尻慶輔さん。井尻さんも大牟田出身で、現在は千葉県在住とプロフィールにありますが、彼にとっては《不気味な存在》《シーラカンス的に写った炭鉱電車》だったようです。(本文から引用)
私が初めて炭鉱電車に興味をもったのが高校生の頃でした。
小さい頃から大牟田市内を走る運炭列車は見てきましたが、ことさら興味があったわけではありません。
そしてこの日の撮影が、たぶん炭鉱電車の初めての撮影です。
小さい頃から大牟田市内を走る運炭列車は見てきましたが、ことさら興味があったわけではありません。
そしてこの日の撮影が、たぶん炭鉱電車の初めての撮影です。
井尻さんが小学校高学年の頃に抱いた《不気味な存在》《シーラカンス的に写った炭鉱電車》といった印象はなるほどと思えます。
今でこそいとおしく感じる今は亡き三井三池の車両達ですが、フルスピードでかっこよく疾走していた国鉄や西鉄の特急を見た目には “なんだこれは?!”と感じたことでしょうね。
それでも、ふるさとの炭鉱電車はなつかしくもあり、できればいつまでも動いていて欲しい存在です。
《炭鉱電車路線の一部でも復活させ、明治以来大切に使われてきた小さな電気機関車が観光列車の先頭に立つことができたら・・・》(先の本文より引用)
《炭鉱電車路線の一部でも復活させ、明治以来大切に使われてきた小さな電気機関車が観光列車の先頭に立つことができたら・・・》(先の本文より引用)
夢を現実にできれば・・・と思うこの頃です。