時刻表で20系“あさかぜ”時代にタイムスリップ

イメージ 3今回は、当時の時刻表にて博多駅を探索してみましょう。

取り上げた時刻表は、9レ“あさかぜ1号”が記載されている鹿児島本線下りページです。
一つめは、私が博多駅にて“あさかぜ1号”を撮影した年
1975年3月・・・ といえば新幹線博多開業時の時刻表でござんす(^O^)

“あさかぜ1号”の博多駅到着時刻は10:53
40分前には、名古屋から583系の“金星”がご到着(^-^)
ディーゼル急行の“出島”“弓張”も非電化区間の長崎本線・佐世保線に活躍中!!
もちろん、各九州ブルートレインには食堂車のマーク付き、
もう、たまらんです!(^^)!


1975年 3月 交通公社 時刻表P174

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1973年10月 交通公社 時刻表P149

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イメージ 4二つめは、1973年10月・・・10/1のダイヤ改正時の時刻表です。
1975年3月と比べてみると・・・

九州ブルトレ達の、博多駅までのダイヤには大きな変化はありませんが、よく見ると“みずほ”の行き先が違います。

“はやぶさ”はどうでしょう?
そうです、“はやぶさ”は西鹿児島・長崎行きでした。また、この時刻表からは読めませんが“はやぶさ”は20系編成です。
(1975年3月10日から24系となる/正確には、3/10の上りは20系のフル編成でした!!)
ということは、鳥栖駅から長崎行きの“はやぶさ”には簡易電源車のマヤ20が連結されていたということになりますな!(^^)! 時代を感じます・・・。

ちなみに“さくら”は1972年3月15日より14系編成でした。

また、大阪からの夜行急行“つくし”や名古屋からの“阿蘇”が紙面に彩りを添えてますね。
新幹線開業とともに、これらの夜行寝台急行が消え去ったのは残念ですが、これも致し方ありません。
(“阿蘇”は14系座席車として、1980年まで生き残りました)
また、長崎行きのディーゼル急行の名称は“いなさ”ですね。
おっと、大事なことを見落としてました(@_@)
それは、わが9レ“あさかぜ1号”に関係することです。
答えは、このページをご覧になった皆さんで考えてくださいね(*^_^*)
以後しばらくは、九州ブルトレ達の時代は続く・・・