炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

炭鉱電車が走った頃 イメージ画像

絵葉書を歩く◆三池炭鉱と大牟田

  ▲三井三池宮の原炭鉱 Miyanohara Coal mine Miike.  (Ys)      絵葉書を読む    明治末期から大正初期頃の宮原坑。絵葉書右が第一竪坑(揚炭、吸気、排水用)、左が第二竪坑(主に人員昇降用)である。宮原坑は、万田坑、勝立坑、宮浦坑とともに明
『宮原坑  絵葉書を歩く◆三池炭鉱と大牟田(1)』の画像

  ▲三井三池萬田炭鉱  MITSUI´S MANDA COLLERY AT MIIKE  (津村寫YS)      絵葉書を読む     明治末期頃の万田坑。絵葉書中央に第一竪坑(揚炭、吸気、排水用)、その左奥に第二竪坑(排気、排水、人員昇降用 )、絵葉書左に選炭場が確認できる。万
『万田坑  絵葉書を歩く◆三池炭鉱と大牟田(2)』の画像

     ▲(大牟田名所) 宮ノ浦炭坑  FAMOUS MIIKE      絵葉書を読む     大正期頃の宮浦坑。絵葉書右に汽罐場の赤レンガ煙突、その左側奥には木造 の第一竪坑櫓が見える。七浦坑の空気流通と採炭予備のため、明治21(1888)年に操業開始された。当初
『宮浦坑  絵葉書を歩く◆三池炭鉱と大牟田(3)』の画像

    ▲ 三池勝立坑   KATSUTATE OF MIIKE COAL MINE    (大牟田驛前山田製)      絵葉書を読む     明治末期から大正初期頃の勝立坑。絵葉書右が第一竪坑(揚炭、吸気、排水用)、左が第二竪坑(排気、排水、人馬昇降用)である。勝立坑は、大浦坑
『勝立坑  絵葉書を歩く◆三池炭鉱と大牟田(4)』の画像

   ▲ 三池七浦坑     (SY) NANAURA PIT, COAL MINES         絵葉書を読む     明治末期から大正初期頃の七浦坑。七浦坑には第一竪坑、第二竪坑、第三斜坑の三つの坑口があった。絵葉書中央にあるのが第一竪坑で、木製の櫓
『七浦坑  絵葉書を歩く◆三池炭鉱と大牟田(5)』の画像

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