炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

炭鉱電車が走った頃 イメージ画像

鉱山軌道◇紀州編

撮影日:1978 9.17 撮影地:石原産業 紀州鉱山 紀州鉱山軌道 (その1)  木造人車 「石原産業 紀州鉱山」と聞いて・・・ 「あ~、三重県にあった銅山ね」 なんて言える人は殆どいないでしょう。 “紀州” という名前から、おおよその場所は想像できます
『紀州鉱山軌道 (その1)  木造人車』の画像

撮影日:1978 9.17 撮影地:石原産業 紀州鉱山 紀州鉱山軌道 (その2)  板屋駅 紀州鉱山の軌道巡りは、板屋からのはじまり 5万分の1の地形図「十津川」を片手にここまでやってきました 地図をみると、「紀州鉱業所」の記載と、四角い建物の標記がなさ
『紀州鉱山軌道 (その2)  板屋駅』の画像

撮影日:1978 9.17 撮影地:石原産業 紀州鉱山 紀州鉱山軌道 (その3)  板屋駅 紀州鉱山の軌道巡の3回目は、板屋駅のつづきです。 短いながらもホームとベンチがあったここ板屋。 そのホームから、連なる人車達を眺めます(*^_^*) こうして見ると、その
『紀州鉱山軌道 (その3)  板屋駅つづき』の画像

撮影日:1978 9.17 撮影地:石原産業 紀州鉱山 紀州鉱山軌道 (その4)  板屋駅 紀州鉱山軌道巡りの4回目も、板屋駅のつづきです。 この板屋駅の構内は、立派な架線が張り巡らされていました。 架線柱も鉄骨でできています。 その板屋駅の短いホームに
『紀州鉱山軌道 (その4)  板屋駅つづき』の画像

撮影日:1978 9.17 撮影地:石原産業 紀州鉱山 紀州鉱山軌道 (その5) 木造人車 13号  紀州鉱山軌道巡りの5回目も、板屋駅のつづきです。 13号人車のサイドビュー・・・ 木工所ででも製造したかのような印象。 この人車のサイドには 「板ー惣」
『紀州鉱山軌道 (その5)  木造人車 13号』の画像

撮影日:1978 9.17 撮影地:石原産業 紀州鉱山 紀州鉱山軌道 (その6) 選鉱所下の木造車庫  紀州鉱山軌道巡りの6回目は、板屋駅界隈の探索。 板屋駅の背後の山には、選鉱所の巨大な建造物がありました。 その選鉱所のちょうど下部あたりが今回の一枚です
『紀州鉱山軌道 (その6) 選鉱所下の木造車庫』の画像

撮影日:1978 9.17 撮影地:石原産業 紀州鉱山 紀州鉱山軌道 (その7) 台車に乗ったバッテリーロコ 紀州鉱山軌道巡りの7回目も、板屋駅界隈の探索です 木造車庫の近くで、こんな光景を目にしました・・・ バッテリー部分が取り外され、分解されたバッテリ
『紀州鉱山軌道 (その7) 台車に乗ったバッテリーロコ 』の画像

撮影日:1978 9.17 撮影地:石原産業 紀州鉱山 紀州鉱山軌道 (その8)  ホウセンカ 紀州鉱山軌道巡りの8回目も、板屋駅界隈の探索です。 板屋駅の留置線に居並ぶ人車の列・・・ 夏の終わりのホウセンカが花を添えます。 ホウセンカは、その種が弾けます
『紀州鉱山軌道 (その8) ホウセンカ』の画像

撮影日:1978 9.17 撮影地:石原産業 紀州鉱山 紀州鉱山軌道 (その9)  手書き車番 紀州鉱山軌道巡りの9回目も、板屋駅界隈の探索です 朽ちかけた人車に残された手書きの番号 28 板目に沿って、緑色の塗装が剥げ落ちる頃 閉山後の時間が過ぎていく
『紀州鉱山軌道 (その9)  手書き車番』の画像

撮影日:1978 9.17 撮影地:石原産業 紀州鉱山 紀州鉱山軌道 (その10) 選鉱所と人車  紀州鉱山軌道巡りの10回目も、板屋駅界隈の探索です 山の斜面を利用して設置された選鉱所をバックに 一両の人車がぽつんと佇んでいました 今では人っ子一人いない
『紀州鉱山軌道 (その10) 選鉱所と人車』の画像

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