炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

炭鉱電車が走った頃 イメージ画像

国鉄時代

1978年3月19日の3レ“はやぶさ”号です。 今では、この区間は肥薩おれんじ鉄道となってしまい、寝台特急も過去帳入りとなりました・・・。 八代からさらに下って日奈久温泉をすぎると干拓地も終わり、上田浦の駅につく頃には不知火の海が間近にせまってきます。上田浦
『上田浦を下る3レ“はやぶさ”号』の画像

前回の“はやぶさ号”撮影の山をおり、線路沿いを少し鹿児島よりに南下。105M、急行かいもん2号を右隅に配置する構図をかまえて撮影。いい天気にも恵まれ、風光明媚な車窓が広がります。 中学や高校の頃はご多分にもれず特急ばかり追いかけていましたが、たまにはこ
『不知火海を下る“かいもん2号”』の画像

ぎんなん   下り熊本行きのぎんなん号です。 熊本で、上りの玄海号にヘンシ~ン だったかな? 突然ですが、1973年9月頃の大牟田駅下り1番ホームです。 上田浦のかいもん号をUPしながら、中学の頃に475・457系急行のヘッドマークを追いかけていたことを思い
『急行ヘッドマーク』の画像

上り有明4号 1010M上田浦シリーズ第3弾は、481系の特急有明号です。当時の記録を見ると、上下各10号の有明が設定されています。内3往復が581系で、残りの7往復が481系でした。博多始発以外にも、門司港・小倉始発の西鹿児島行きの設定がありました。上
『481系 有明号』の画像

下り有明3号 1007M上田浦シリーズ第4弾は、583系の特急有明号です。山の上にあった神社の階段からの俯瞰です。撮影した当時は、自分では“バッチリの構図でとれた”と記録ノートにメモしてますね。いかがなもんでしょうか(?_?)さらに記録ノートをひもとくと・・・串
『583系 有明号』の画像

125レ 普通列車上田浦シリーズの第5弾は、旧型客車の普通列車です。当時は、まだまだこのような旧型客車のスジが何本か残っていました。できるだけ客車列車を選んで、ゆったりと過ぎる列車の旅を楽しんだものです。客車は、停車するとまったくの静寂です。電車や気動車
『上田浦を旧型客車が行く』の画像

1975年10月26日の博多駅8番ホーム 東京より、9レ“あさかぜ1号”博多駅にただいま到着。 20系“あさかぜ”が、まだまだ輝いていた頃です。 当時最も豪華であった個室を含む、堂々の15両編成!(^^)! 15両の編成を電源車・1号車に続いてのぞいてみましょう・
『博多駅は“あさかぜ”にきまっとろうもん/その一』の画像

博多駅8番ホームから、突然ですが鹿児島本線の東郷~福間(当時)にひとっ飛び(^O^)以前から、“20系あさかぜの15両編成を撮りたい”と思ってあたためていた場所がありました。それは、東郷駅を通過してしばらく行ったところにあるカーブです。地形図で確認してみると、
『博多駅は“あさかぜ”にきまっとろうもん/その二』の画像

時刻表で20系“あさかぜ”時代にタイムスリップ 今回は、当時の時刻表にて博多駅を探索してみましょう。 取り上げた時刻表は、9レ“あさかぜ1号”が記載されている鹿児島本線下りページです。 一つめは、私が博多駅にて“あさかぜ1号”を撮影した年 1975年3月・・・
『博多駅は“あさかぜ”にきまっとろうもん/その三』の画像

今回は、“あさかぜ”様は運休です(^_-) かわりに、“あさかぜ”様ご到着の前後の博多駅をご覧にいれましょう。 トップバッターは、“金星”でしょう。 9レ“あさかぜ”1号の到着前の8番線におわすは、名古屋から10:11到着の21M“金星”号です。 実は、写真を
『博多駅は“あさかぜ”にきまっとろうもん/その四』の画像

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